やはりやること

 思ったり考えたりしたことが、実際には無意味だったり、あまり根拠のないことが、日常生活ではよくある。

 わたしたちはよく、(あんなことを言って、傷つけたのではないかしら)とか、(怒らせたか?)とか、(しつこく思われたら...)といったことで心を煩わせている。が、よくよく聞いてみたり、事情が明らかになるにつれて、自分の言ったことや、やったことなど、他人にとって何でもなかったりする。

 反対に、自分では何とも思わぬ言動が、周りの人をひどくいらだたせたり、ムカッとさせたり、致命的な心象の悪さを生み出していることが、ままある。自分が気にしていることが周りでは無風で、自分が全く意識してないことが、他人にはたまらないのである。結構なズレが、自他の認識にはある。わたしが、自分の思い考えたことをあんまり当てにしないのも、こういう次第である。

 不安は試験勉強に付き物である。受験生の顔色は良くない。逆を言えば、試験勉強の真っ只中の人で、溌剌とした人はそう見かけない。運動不足とお日さま不足とが原因だが、やはり、不安の存在が大きな原因といえる。

 何しろ試験は、合格するか・しないかの二者択一の世界である。明白な審判と合否基準は、こちら側の曖昧さを許さない。(1点くらいいいじゃん)という甘いところも無論ない。

 これが、中間のものでもあれば、受験生のストレスもかなり和らぐところだ。たとえば、毎回の試験で不合格となっても、個々の試験で50点以上取っていれば、5回目で必ず合格できるとか、以降の試験ではプラス何点か下駄を履かせてくれるというのなら、試験勉強の不安はぐっと軽くなる。

 今では、科目別合格を採る試験も増えてきたが、試験というのは依然として、合格か不合格かの2つしかない。どっちかなのだから、なかなかに確固たる自信は持てないだろう。人の心は、そう簡単に割り切れぬ。

 そして、試験の成功率の低さ(失敗率の高さ)も、不安のもとである。試験の合格率が運転免許のような高い合格率なら、不安は強くならない。今はダメでも次に受けたら受かるだろうってな感じでいられるから、合格率の高い試験に落ちても、くよくよする人は少ない。ほんとのところ、多くの人が受かる試験に落ちたのだから、自分の馬鹿さ加減が証明されたようなものなのに、意外にのん気に構えていられるのである。

 しかし、試験が難しくなって合格率が低くなるにつれ、落ちる可能性は格段に高まる。連続して落ちる危険があるわけで、「不合格」という烙印が永続する可能性すら出て来る。その予感と恐ろしさが、不安をいよいよ呼び覚ます。試験勉強に不安が付き物なわけは、試験の制度そのものが、自信を持ち難く、不安を抱きやすい仕組みになっているからである。

 試験という世界では、気丈な人だって不安な心持ちになるし、確固たる自信など、よっぽど過剰な自我の主でない限り、とても持てない。逆を言えば、多くの人は不安だからこそ、それを打ち消そうと一生懸命に勉強するのだ。

 もしも、漠とした不安で心が占められていて、モヤモヤした気持ちが納まらないときは、試験のせいにしてもいいのである。あるところまでは自分のせいだが、あるところからは、試験制度のためとしか言い様がない。不安や自己評価の低さは、試験制度に由来するものであって、自分の側だけに問題の因があるわけではない。そうなるように作られているのだから、全てを自分で背負い込む必要はない。

 もちろん、全てを試験のせいにしていいわけないが、試験勉強の際に感じる不安等の諸々は、試験制度から来ることを知っておいて損はない。だから、試験勉強中のわたしたちは、過度に不安に付き合わずともいいし、深く思い悩むこともないのである。半分は向こう側の話である。知ったこっちゃない。

 さて、不安に付ける薬は、やはり、「やってみる」というのが、確実のように思われてならない。不安に苛まれながら布団の中で悶々と思い考えるよりも、テキストを読み、問題集を開き、過去問を解いて、繰り返していくほうが、よほど確かな実を結ぶし、ずっと確かな手ごたえがある。

 もちろん、ひたすらにやればいい、という単純な話ではないが、やらずにいる方法論中毒やノウハウ依存症に比べれば、やってる分だけずっといい。

 方向違いでピントが外れていても、現にやっている人はちょっとした示唆やヒントで急激に伸びる。(ああ、そうなのか)と悟れば、あっという間にこれまでの徒労はすぐに取り戻せる。 しかし、やらずにいれば、ずっとそのままなのである。モヤモヤは晴れず、視界は常に不明瞭であろう。やっていくうちにわかってくるとは言い得るが、考えに考え悩みに悩めばわかってくるとは言い難い。

 やはりやることが、事を為す要(かなめ)であるように考える。やってもないのに悩まない、考え込まない、立ち止まらない。そして、怯まない。自責の念を込めて、ひっしとそう思うのである。

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