経験は壁か
経験は、確かに多くの場面、多くの部分で物を言う。才能や能力の壁を超えるには、最終的に経験しかない。しかし、経験がすべてなのかと言うと、そうでもない。 極端な例だが、中学卒業後、ある仕事に就き、知らないことはないくらいに経験を積んで、日本有数のベテランとして数えられるようになったとする。しかし、この経験者が、かつてぼうや呼ばわりしていた20・30代の若造に業績で負けることは、多々ある。世の中というのは、経験のみでうまくいくものではない。経験者には、経験者だけが持つ苦悩があろう。経験は、決してすべてではないのである。 経験が絶対的に必要な仕事になるほど、次の経験者が既に育成されているわけで、経験者の求人はほとんどなくなることとなってしまう。求人があること自体、経験が絶対でない証なのである。一概には言えないが、経験に多少欠けても、将来性の方に重きを置く企業が多い。経験がないからではなく、将来性がないから落ちる。 これまた極端な例だが、経験がないと物事がうまく行かないのなら、その物事を1番初めに成し遂げた、未経験だったはずの人はどういう塩梅なのか、という理屈になる。それに、重要な仕事や職責の多くは、未経験なことの方が多い。例えば、首相や大統領になるのに、その職の経験が必要ならば、ほとんどの人は候補にすら上れなくなる。もっと身近な例を挙げれば、経験がすべてなら、わたしたちの多くは結婚できなくなる。皆生まれたときは未婚だからだが、年頃が来れば皆すらすらとやってのける。 経験は大きな力を持つが、だからといって、経験の奴隷になるべきではない。物事を行なうのに未経験だからと逃げてはいけない。怯むのも、そこそこにしておく。歴史上の出来事の多くは、未経験のことではなかったか。先人の多くは、それまでの乏しい経験から、知恵と知識を総動員して精一杯考え、比較し、確かめ、調べ、試して、推論してきたのではないか。 逆を言えば、こうした一連の作業こそが、未経験者の特権である。経験者というのは、こうした作業を省く人とも言える。既知のことについて知る必要はないからだ。しかし、この省略ゆえに、新しい局面を調べることを怠ったり、新しい事態や技術を甘く見たり、過去の成功体験によっかかって誤対応をすることになる。未経験者としては、経験者の自滅を待つだけでよい。 転落と失敗の罠はぱっくりと常に傍に口を開けて待っている。よしんば経験があるからといって、うかうかはできない。経験者ほど、経験固有の罠にかかるだろう。いってしまえば、経験だけなら誰だってできるのだ。 試験勉強においても、経験のある人は強い。前提知識や背景に富むので、テキストはすぐ読めるし、問題もさっくりと解く。逆に、何の経験も知識もない人は、テキストのもくじを読むだけで骨が折れる。試験勉強のスタートは、経験者の圧勝である。しかし、経験者の特権なんてものは、試験勉強の開始後、3ヶ月くらいでなくなってしまうし、半年すれば逆転もされる。 試験の語彙は、1ヶ月も勉強していれば自然と身に付くし、そもそも試験自体が、経験のみで合格できるほど甘くない。試験範囲のいくつかは、未経験で知らない箇所もあろう。それに、経験が油断の元になることが多々ある。ぱっと見で、できると思った経験者は、勉強の着手にぐずぐずしたり、理解が浅かったり、勝手に自分で(こんなものは試験に出ない)と判断する。まさに、経験者の罠に陥るのである。 一方、未経験者だと、右も左もわからないから、自然と丁寧に、慎重に勉強を進める。未経験者は油断どころでなく、目の前のことを甘く見る余裕もない。このことがまた、最終的にいい結果を生む。今は、受験生や合格者のデータを公表する試験も多い。受験予定の試験での、経験者や出身学部別の割合を調べてみるとよい。経験や前提知識があるのは有利だろうが、合格にあたって絶対でないことが理解できるように思う。 ただ、経験の少なさは、やる気と情熱で補ってこそのものである。このことを、決して忘れてはいけない。経験のなさに怯え、経験の少なさに悩むのは愚かではある。しかし、だからといって自身の無知を誇る理由にはならない。経験・未経験を問わず、取り敢えずは、やってみることだ。すでにやっているなら、もっとやってみることだ。答えと啓示は、やる瞬間に生まれてくる。 |
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