時間は気前よく

 意味のないことはする必要がない。時間を使うこともない。たとえやるにせよ、ごく短い時間で切り上げるべきだし、深追いは厳禁だ。もし、少しでもやる意味があるなら、やってもよい。 しかし、それでも、時間をかけずにぱっぱっと済ませるべきだし、手を抜いてもよい。ヒマがあればやればよいのであって、忙しいのならやらなくてもよい。少ししか意味がないのだから、自然とこうなる。それでは、大いに意味のあることは、どうなのだろう。

 何ていうことはない。やるべき大きな意味と価値とがあるなら、しっかりやるべきである。大きく時間を割いて、腰を据えてじっくり取り組むべきであるし、よくよく考えて、確実に1歩1歩を進めるべきである。時々は立ち止まり、あーだこーだと色々で様々な可能性を模索しつつやっていけば、さらによいだろう。ごく、当たり前のことである。逆にいえば、意味が大いにあることは、片手間で済ませてはならないし、手を抜いてもいけないし、急いでやるものでもないのである。

 当然ではないかと思うことだが、そうでもない。やる意味と価値はあるのに、急いでやろうとしたためにダメになったことは多々ある。わずかな時間を惜しんだために、本来得られるものを得られなかったことも、多々あったのではないか。我々は、かなり「はやさ」に毒されているのである。我々は、「はやさ」に対して、何か盲目めいた信心を有しているくらいに、「はやさ」に重きを置くように見受けられるのである。 しかし、「はやさ」には、本当に意味と価値があるのだろうか。

 あるところには、ある。例えば、金利負担である。お金を借りて工場を建てたのなら、1分1秒でも多くの製品を作って販売し、いち早く現金を回収した方がよい。現金は、返済して金利負担を小さくするか、新たな設備投資でよりたくさんのものを、よりはやく生産し、1個あたりのコストを引き下げ、競争力を増し増すのもよい。ここでは、「はやさ」に大きな意味があるのである。引いては、我々の社会体制が資本主義である以上、借金と金利と切っても切れないわけであるから、どうしても、わたしたちのあちこちで、「はやさ」に意味と価値とを置く事・物・人・組織・言動を目にするのである。

 しかし、我々の社会経済が「はやさ」を重んずるとはいえ、そっくりそのまま、我々にあてはまるわけではないのは自明である。社会経済以外のところでは、「はやさ」のベタ一色になっているわけではない。たとえば、食生活であるし、夜の生活だ。食事の時間が5分の人が10分の人より立派なわけではない。寝室に入って出てくるのが、1時間から30分、15分、5分と「はやく」短縮されていくのがよい営みとは、到底いえない。(とんでもない!!)と、跳びあがるご婦人だっているだろう。

 また、先に我々の社会経済は、「はやさ」に重きを置くとはいったけれども、全部が全部がそうとはいえない。工場の生産なら、「はやい」がよいだろうが、研究や開発、企画、引いては営業から人材育成まで、はやくできないものもたくさんある。また、「はやさ」が最高の価値を持つ時は、いうなれば、技術革新が進みに進んでいるような時代で、たとえば、一昔前のIT技術や大規模集積回路の超絶な発展、中昔の銃器の製造技術の発展の時などは、はやいが上にはやくないと、競争に負けてしまう。

 逆に言えば、こういうときくらいしか、はやさに最上の価値はなかったのである。このように考えてみると、「はやさ」とは、我々の生活はもとより、社会経済の上でも、また、歴史の上でも、ごく限られた部分でしか、意味をなしていないのである。それなのに、どうしてか我々は、意識的に、無意識的にも、「はやく」やろうとするのである。はやいことがそぐわないことにも、「はやさ」を持ち出して、考え、判断し、評価するのである。

 もし、やっていることに対して、何か時間を割くのが惜しく感じがするのなら、心のどこかで、やっていることに対して、意味と価値とを見出していないのである。やっているとイライラしてきたり、無用に焦ってきたり、はやく終わらせたいと思っているのなら、そのことには、意味も素っ気もないと感じているのである。こうしたことを、少し意識に登らせてみれば、眼前のことの、意味の有り無しと価値の多寡もよく見えてくる。それがわかれば、肩の力を抜いて、気負わずに処理していけるであろう。

 世の条理は「はやさ」かもしれないが、我々の生は「はやさ」に染まるものではない。生身の自分が、やろうと思って、または、やるべきだと感じていることは、何かに憚ることなく、邪魔されることなく、たっぷりと気前よく時間を割いて取り組むべきである。おそらくそれが、わたしたち本来の時間の使い方であろうし、そうした時間こそが、わたしたち自身であったりする。人間とは時間的存在である。わたしたちは、時の間(あいだ)にあるのだ。

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