忍耐について

 我慢をすることが耐えることなのだろうか。我慢と忍耐は同じことなのだろうか。確かに両者は似ているが、少し違うように思われる。

 たとえば、我慢は時間の短いものや瞬間的なことが対象である。熱いお風呂や辛い料理が、我慢のしどころである。一方の忍耐は、もっと時間の長いものや、別の何かに当てはまるようだ。存在しないものは言葉にならない。違いがなければ言葉の差異もない。我々は、辛度10のカレーを忍耐はせずに、我慢をする。忍耐には何かがありそうだ。忍耐すること・耐え忍ぶことは何なのだろうか。

 まずもって、忍耐とは、勇気の一部である。耐えたことのない勇気があるだろうか。勇気と銘される行為には、沸き起こる不安や生命の恐怖、財産上のリスクを背負い、それらに押しつぶされることなく前進することだ。または、苦しい現状を維持することだ。

 不安や恐怖に圧され、リスクに恐れをなしてやった行為は、勇気のある行為とは言えず、単に自暴自棄になっただけである。忍耐に欠ける勇気は匹夫の勇に過ぎず、まさに投げ槍なのである。槍からは、死んでも手を離さない。勇気とは、忍耐を必要とするものである。

 また、忍耐は知恵の一部でもある。考えることとは耐えることでもある。これっ!と来た対象に食らいついたら離れないことである。耐えることができねば、知恵も湧かない。入り組んだ背景。人間関係の事情。現場の実情。複雑な理論。前提の掛け合い。膨大なデータや資料、数値たち。こうしたものに耐えてこその、結論なり打開策となる。

 態のいい答えや流行っている説、権威のある機関や人の言うことに飛びつくのは、知恵ある人のやることではない。それは知恵者というよりも、知恵を衒う者だ。一皮剥けば馬鹿である。爬虫類のように脳髄反射でできもしないことを口に出し、失脚した馬鹿を見たばかりである。鞍替えする前科者もいる。忍耐は、知恵を支える大事なものなのである。

 勇気と知恵の調和を図る節制も、忍耐から大きな影響を受ける。いや、影響というよりも、節制こそ忍耐の賜物であろう。我々は耐え忍ばずして、自身の欲を抑えることができない。我々のご先祖は、食や性の欲をセーブし、何か人や社会に役立つことに振り向けてきた。今の我々も、そうであろう。 

 このことは、我々の本能に近い部分にまで刷り込まれている。ただ食い、ただ眠るだけの人生がいかに空しくなるか、想像しただけで足りる。忍耐なくして節制はなく、節制なくしてよき生はないのである。力なり欲なりエネルギーを制するのは、古の人から今のわたしたちがしてきたことだし、そして、これからの人たちもそうしていくだろう。

 しかし、である。忍耐が、勇気・知恵・節制の3つの徳に対して、大きく影響を及ぼすにしても、忍耐がそれら3つの上位にくるものではない。また、忍耐が先にあって、3つの徳が後に続く、ということでもない。両者は上位・下位、前後という関係ではない。

 そもそも忍耐がそれらの先にある、とかいうのが、おかしいのである。我々はもとより、忍耐など絶無であった。お腹が空けば泣き、オムツを濡らしては泣いた。昼間たっぷり寝たから夜寝れなくなっても泣いた。忍耐の「に」の字もなかったはずである。もしも、忍耐があって勇気や知恵、節制が成り立つのであれば、もともと忍耐を有しない以上、3つの徳も成らなかったであろう。関係の上下は説明しやすくなるが、納得できれば真実になるわけではない。

 逆に、忍耐は、3つの徳が機縁となって育まれてきた、ともいえるのである。勇気を出して挑戦したことが、がんばれる自分、困難と苦痛に耐えうる自分を発見する。成功か失敗かは問わない。勇気が忍耐を生むのである。

 知恵を働かせることで忍耐は育まれる。赤ん坊は、母親が視野からいなくなれば泣く。が、次第に、隣の部屋でごそごそする音がしたり、台所でガタガタしたりすれば、目には見えずとも居ることを知る。大人となった我々も、よく知ることで、よく耐えられるようになる。

 節制においても同様だ。忍耐は、自身の欲や衝動を制することで養われてきた。トイレに行くことすら、幼少時の節制によって成った習慣である。箸の持ち方も、自転車に乗ることも、何か機械や道具を動かすことも、自身の節制を通して獲得したものだ。我々の忍耐は、節制から培われてきたのである。

 勇気と知恵、そして、節制の3つの徳と忍耐とは、円状というか互いに補い合う関係にあるように思われる。忍耐に欠ける勇気は自棄に、忍耐に欠ける知恵は真性の馬鹿となる。そして、忍耐に欠ける節制など存在しない。また、勇気に、知恵に、節制に試されたことのない忍耐ほど、頼りにならないものもない。

 勇気が必要なときは忍耐を。知恵が求められるときにも忍耐を。節制すべきは忍耐を。耐え忍ぶの一瞬を知れば、それらは、今以上に力強く動き始めるだろう。

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