外野のこと

 情報がとても多くなった。例えば、ラーメンを食べることである。一時代前なら、お腹が空いたので近所のラーメン屋に向かうくらいであった。しかし、いまや単純に食べる事すら簡単ではない。麺が打ち方とか、スープの材料とか、つけ麺かどうか、果てには使っている塩の種類にまで、話が及ぶようになった。評論家の1言からマニアの評価、ライト客の口コミに到るまで、膨大な情報に接することができる。

 それこそ、紙に打ち出せばプリンターが止まらないくらいに、たくさんの情報を手に入れられるようになった。こうした情報を調べて店や品を吟味した方がスカを引かない。何か得をしたような気がするし、最適な選択をしたようにも思う。しかし、何かしっくりこないものがある。

 情報の量が増え、いろいろな事を知りうるようになって、得るものはたくさんあった。自分の見知らぬ世界を知ったし、調べるのに国会図書館なみの図書館にいかねばならない事が、今や自宅の検索ですぐ知れるようになった。しかし、得るものが増えると同時に、我々は惑いも増えたように思う。先ほどの例のラーメンでいうなら、近場の店に行ってしょう油ラーメンでも注文し5分で啜って終っていた。味がそれ程でなくても、(こんなものかな)と満足もしていたのである。それで済んでいたのである。数バイトの情報量である。 

 しかし、今や様々のことが調べられるようになって、たかが一杯の話が一杯で終らないのである。情報が情報を呼ぶ。我々は、ラーメンを食べに行くというよりも、情報を確かめに行くといった感じがしてきているのである。端的な例を言えば、味が落ちたと知ったのならいかねばいいのに、その密やかな情報を確かめに行ったりする。新しくできた店には評判が固まっていけばいいのに、新規開店の情報を知らんがために行くのである。

 我々が憶えていて損はないのは、社会や環境は大きく変わっても、我々自身はそんなに変わらないという厳然とした事実である。縄文時代の我々と現代の我々は、からだの仕組みや構成は同じなのである。昔は手が4本もあったわけではないし、目が3つもあったわけでもない。骨の種類も数も同じ。口は食べるための、鼻は匂うため器官だった。内臓の数も機能も変わらない。ヒトという生物は、恐ろしいほどに変わっていないのである。

 小話であるが、我々がおいしく感じるものは、脂っ濃いものと塩辛いものである。人類の歴史はそれこそ飢えの歴史であり、食べ物に心配しなくなったのはこの30〜50年の話なのである。それ以前のヒトは常にお腹を空かして食べ物の心配をしていたのである。いうなれば2000年の歴史のうち1960年間は飢えていたのである。ヒト類には飢餓に備える機能がある。そう、お腹や太もも、お尻に脂肪を蓄えるという機能であり、そして、脂肪をおいしく感じる味覚を身に付けたのである。

 塩っ気も同様である。生産や流通機構が機械化される前の人類は、すべて手作業であったから汗をたくさんかいた。塩はからだの維持と機能に欠かせない。だからこそ、塩っ気のが強いものを我々はおいしく感じるのである。塩っ気のない減塩食のまずさ、ダイエット食品の無脂肪さに我慢できないのは、こうしたヒトのもつ生体維持機能が所以なのである。しかし、今や、塩も脂肪も健康の敵といわれるようになった。我々のヒトとしての機能や味覚も、かつての縄文時代の我々と変わってはいない。未だ我々のからだは、人力と飢えの時代のままなのである。

 我々の頭であっても、同様の事情であろう。縄文人と我々の脳に大きな差はなかろう。1文字も知らずとも聡い人はいただろう。いくら情報量が増えたからといって、現代の我々が賢くなったわけではない。情報量が多いからといって、我々は賢明になるわけではないのである。

 事態は逆のように思われる。我々は、情報が多いと何だか効率的に考えているように感じてしまうが、考えることは体のいい結論に飛びつくことではない。情報が多ければ、確かにいろいろな可能性や選択を模索することができるが、ノイズや野次レベルの情報に翻弄されているとも言える。雑誌や新聞、テレビのメディアの主張や言い分、口コミや批評、意見や主張を頭に入れて口から出すことは、考えていることになるまい。本を読むことすら考える代用にはならないのである。

 外からの情報は一度、遮断してみることである。(外野は黙っとれ!)という風に。本当は何も持たないほうがよいが、メモ帳1冊とペン1本だけ持って、公園のベンチで考えてみることである。考える像は何も持っていない。考えることに情報は要らないのである。自分で本当に考えたことは、その結末が如何なるものでも、後悔はない。後悔は、外野に惑わされた者が行うものである。ふと考えてみれば、内ににせの後悔とにせの思考が詰まっていることに気付くだろう。古人は汝自身を知れといった。

ページの先頭に戻る ホームに戻る

 

 
         
コラム一覧でございます
過年度の古きコラムでございます
    
当サイトに掲載している情報は、当サイトがその内容を必ずしも保証するものではありません。 情報の活用は利用者各自の責任の範囲内でお願いいたします。すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。

----- Copyright (C) 独学のオキテ?くらげ (:]ミ All rights reserved -----