できないにも濃淡が

 絶望は愚者の証という。本当にそうだろうか。確かに人は絶望することがある。しかし、完全に絶望する事態というのは数えるほどしかないように思う。例えば、愛別離苦であったり、病気や怪我、死であったりする。絶対数はあるけれども、ものすごく数が多いわけではなく、ごく限られた事態である。

 自身の死も、言うほどは絶望的ではない。死の間際にあるときというのは、意外に痛みを感じないという。というのも、死に瀕しているときというのは大概、腎不全や肝不全、脳機能不全といった臓器不全が起きていて、本人の意識は薄ぼんやりとしているからである。だから、傍からみれば苦しそうでも本人は実際には感じていないのである。昔の小説の臨終シーンでは、病床でうつらうつらとして死を迎えている様子が描かれている。死とは、当の本人にとっては痛くないのである。痛いのは治療自体や治療中の合併症、後の薬の副作用である。

 また、大きな苦しみや悲しみを背負った人、そうしたものを乗り越えた人、不治の病や難病を持つ人が、絶望を感じさせない明るさと笑顔をする。現実的なことを言うのなら、現に真に絶望といわれている事態にある人は、絶望する余裕はない。絶望できること自体が余裕のある証なのである。手立て方法考え等々、余裕がまだあるにもかかわらず絶望するのなら、やはり、愚者と言われてしかるべきであろう。

 ならば、である。いわんや勉強をや、となる。真に絶望する事態の数は限られている。絶望の対象にもならない試験勉強で絶望もどきをしたり、いらいらしたり、過度の不安を抱いたり、気分を害することほど引き合わないことはない。勉強ほど自身の自由になるものはない。やれば見れたものになるし、いくらでもなんとかなる。今年来年再来年にもチャンスは巡ってくる。勉強のことで絶望するのは愚かなのである。

 しかし、頭では試験勉強のことで悩むのは馬鹿らしいと思っていても気には障る。自身の不出来が気に悩むときは、事態を以下の?できること、?がんばればできること、?今はできないこと、?まるでできないこと・できなくてもいいこと、の4つに分けて考えてみることである。

 ?の「できること」であるが、?の場合は気に病む必要はない。実力未分化の今でさえできる(できそう)のなら、将来的に本試験間近でもできるであろう。もちろん、できなくなっている不安はあるかもだが、できることは少し手を加えればすぐにできるようになる。心配無用。できることはできる。?は即断、頭の中から意識の片隅に追いやる。

 真逆の?「まるでできないこと・できなくてもいいこと」はどうだろうか。しかし、全くできないことがわかれば相応の対策は取れる。試験科目の中にはどうしても相性の悪いものがあるし、受験生の大半は出題されても解答を放棄して適当に答える捨て問をいくつか持っている。また、試験の傾向からできなくても構わない科目や単元も現にある。ならば、こちらとしても無理してできる必要はない。

 よっぽどの事情、例えば、そこから必ず出題されてしかも、そこには足切り点が設定されていてある程度の得点できなければならない、といった事情にないのならできなくても構わない。できないところやできる必要のないところに時間と労力を割くくらいなら、他にまわすべきである。

 ?の「今はできないこと」というのはどうしたらいいだろうか。基本的には先送りである。試験勉強の事実として、継続すれば事態は変わる事が挙げられる。1ヶ月か3ヶ月先に見直してみる。勉強を継続していれば、長文・難文への抵抗も付いているし、試験の語彙も付いたりで多少はわかるようにもなる。

 時間は多くのことを解決してくれるが、試験勉強においても、時間を置く事で問題の解決を図れるのである。逆に言えば、できないとはいえども、「今」はできないだけであり、先々でできるようになる可能性は大きいのである。

 最後の?「がんばればできること」だが、?こそわたしたちが実際にやっていくことである。専門用語がちりばめられて読むのに骨が折れる文章でも、時間をかけて文章の構造をおさえ語句の意味をつかみ、専門用語を飛ばして読んでいけば、僅かの理解には到達する。必要な語句や用語を憶えて、読解と理解のため武器を手に入れる。制度の根底を司る定義文や公式を諳んじるまで読む。表やリストを記憶する。

 こうしたことは確かに骨が折れるし時間がかかるけれども、がんばればできないことはない。ちょっとだけ難しいこと、やや難易度の高いことを見出し、わたしたちはそこにこそ力を注ぐべきなのである。

 できないというベタ一色で見ていけば、全てはできないとしか思えないだろう。しかし、勉強の多くは、がんばればできることである。水墨画のように、できないにも濃淡がある。それを見ようとすることである。見ようとしなければ見えはしない。古人は「いま見よ、いつ見るも」と言っている。

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