机の前に座る

 わたしがようやく学んだ事は、机の前に座る事である。見通しは立たずとも、先行きははっきりせずとも、手段や方法、必要な資料や材料、その他データはなくとも、取り敢えずでも机の前に座ってみる。

 他人に言われて机の前に座ってはならない。座る意味が完結してしまうからだ。小学生に取り敢えず机の前に座っておくように言い付ければ、そのまま座り続けるだろう。本当にそのまま座り続ける。言う方に、机の前に座る=勉強せよという意思を込めていても、知ってか知らずでかその通りの座りを続ける。「言われたから、座る」のである。そこに矛盾はない。意味が充足しているからこそ座り続ける事ができるのだ。しかし、冒頭の「机の前に座る」は、当然こうした座るを意味しない。他人に言われたから座るのではなく、あくまで自発的に、自分の意思に基づいて自分から座る。

 今度はすると、逆の問題が生じる。意味の空白が発生するのである。(わたしは机の前に座りはする。しかしどうして?)と相なる。ここには、手っ取り早く意味を充足してくれる「他者」はいない。自分から机の前に座るとき、我々は机の前に座る自分を上手に説明できない。どうしてわたしは、机の前に座っているのだろう。自分で自分を説明できない矛盾に陥る。座る意味が依然として空白だからである。

 人間は空白を恐れる。会話や人間関係、そして人生の中で空白は恐ろしい。履歴書に空白期間があるものなら必ず聞かれるが、それは空白を恐れるが所以である。何かないと、何らかの意味がないと不安で困るのだ。意味の空白も同じである。だからこそ、「どうしてわたしは」という意味の空白を埋めようと考え始めるのである。

 しかし、考えてみても早々思いつくわけではない。それでも座ってみる。そうすると、段々、机の上や周りが気になってくる。どうしてこんなに散らかって取りとめがないのか、というわけである。そう、机の前の座る意味の空白を、掃除や片付けで埋めようとするわけである。(わたしはどうして座るのか?机の掃除し周辺を片付けるためである。)と、掃除の間だけは一応の意味を充足する事ができる。しかし、掃除が終れば再び座る意味に空白が生じる。三度問う、どうしてわたしは座るのか。

 頭は更に、意味の空白を埋めようと動き出す。無い知恵を絞り、何も無いところから何かを引き出そうとする。これまで見聞きした事の中から、何かを見出そうとする。とはいえ、意味の空白を考えるのはそれほどには難しくはない。誰も考えた事のない、全く新しい事を考え付くのは難しいが、それに比べたら意味の空白は考えやすい。

 考えるとは、原因(因果関係)を特定したり、背景(相関関係)を探ったりする事である。大きく考えたり小さく考えたりする。拡げたり狭めたりする。想像する。想い浮かべる。定義する。一言で言う。言い換える。比べる。逆にしてみる。まとめる。結論を導く。無いものとする。分ける。整理する(必要か必要でないかを決める)。整頓(基準や性質によって選り分ける)する。計算する。数字で表現する。数える。そして、疑う。否定し肯定する。信じてみる。こうした考える作業を通してあれこれと、座る意味の空白を埋めていく。

 注意すべきは手っ取り早く行なってはならない点である。例えば、意味の空白を他人の意見や本の内容、常識や未検証な理屈で埋めてはならない。自分で思い考えて空白を埋めねばならない。能率的である事を合理的である事は全く違う。思い考える事を、自分以外で埋めてしまえば、考え思う事にかかる時間と労力を省略する事ができるだろう。めんどくさくはないだろう。一見能率的に見える。しかしそれは、本当に理に合致したものだろうか大いに疑問なのである。

 禅に只管打坐という、ただ座る事を薦める怠け者にとって乙な教えがある。わたしは、これを言い出した人は数千数万の経典で自分をいっぱいにしても、得るところはそれほど無かった故にそう言い出したのではないかと思っている。また、自分で考えて得られるものは、たくさんの経典を読む事に等しいか、下手をしたらそれ以上の理があったからこそ、(座っとけ)と己に言ったのではないかと思う。

 思い考える事は(それも自分で!)、遅々たる歩みであり何にも出てこない徒労が多く、一見無駄に見える。しかし、考えようとする事が大切なものであればあるほど、どうしたって自分で思い、考えねばならないのである。結局は最終的に、考えることになる。どんな有益な本であれ、言であれ、意見であれ、理論であれ、他事で己を塞いでも結局は生の空白は自力で埋めなくてはならない。そして、時間がかかろうが徒労が多かろうが、自分で思い、考えた方が早いのである。自分は自分でしか埋められず、自分で考えた事しかやっぱりわからない。古人は2,400年も前から、汝自身を知れと言っていた。またも元に戻ったわたしなのだった。

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