忘れる位で丁度いい

 試験勉強の折には、どうしても自分の頭の悪さに目が行ってしまう。記憶力の悪さ、理解の乏しさ、知識の無さはそれで仕方がない。そもそも、知らない事やわからない事を知ろうとするのが勉強だから、何かが不足していて当然である。

 我々は日本語検定の勉強をしないように、スラスラわかっている事を勉強などしないのである。しかしとはいえ、やはり力の無さは身に堪えるものがあるのも事実である。

 では仮に、勉強にあたってスラスラとわかる理解力とグングン憶える記憶力といった、いま自分が欲しいと思っている資質があったとしたらどうだろう。当然、現状の脂汗状態の勉強は一転して高原のハイキングのように軽やかに、順調に進んでいくだろう。そして、油断や体調不良がなければ、穏当に合格するだろう。理想的推移ではある。しかしそれは本当に理想的なのであろうか。

 資質や能力、才能というものは、それ自体が独立しており、且つまた自動的なものである。逆なのである。能力や資質があるからそれをやるのではなく、それが我々をそうさせるのである。例えばこれをお読みの方の中で、肘や膝が変形するほどの故障や障害を抱えている人は少ないように思う。それはつまり、肘や膝を壊すまでのスポーツの才能がなかった事を意味してはないだろうか。スポーツ選手は身体のあちこちに故障を抱えているのが常であるが、自分から怪我をする自傷的な人は居まい。テニスやサッカー、野球、格闘技の才に秀でているからこそ、才に引きずられる形で身体が壊れていくのである。

 そして、才能や資質が優れていれば優れているほど、天賦の物に近づくほど、才能の持ち主の制御が利かなくなる。天才が夭折する代表例はモーツァルト、不幸な境遇に陥る代表はベートーベンである。ベートーベンは音楽的才能に溢れていたからこそ、聴力を失うわ結婚はできないわ愛を注いだ甥には散々な目に遭わされた。才が身体と人生を損なったのである。モーツァルトは生命を奪われた。才が優れたものになるほど、才が主人であって我々は従者なのである。

 基本的に、勉強は才能や能力を必要としていない。やれば誰もが取り敢えずできるようになる。勉強を例えば、先ほど言ったスポーツや音楽、そのほか芸術や文学、学問、数学や数字の才、経営や発明、統治や政治、哲学と比較してみればわかる。勉強の才能や資質などは、あれば楽になるのは違いないが、だからといって絶対に要るわけではない。勉強の才能というのはあればいいけどなくてもいいという、下位レベルのものなのである。

 逆に言うなら、勉強の才能というのは哀しいものがありはしないか。例えば、ここに神様が居られて、我々にひとつだけ才能を与えようと思し召したとする。どの才能が選ばれるかはくじ引きで決まる。抽選の結果、くじが「勉強」だとしたらどうだろう、哀しくないだろうか。勉強ができて歴史に残った人は居ない。貰えるのなら、美貌とか健康とか、または先に述べたこもごもの才能が欲しくはないか。勉強の才はハズレくじなのである。

 話を元に戻そう。我々は最初、頭の悪さや理解の乏しさに意識が向かうと述べた。それはそれで残念だ。勉強の才能がないがために、毎日1時間土日祝日には数時間の時間を割いて机の前に座らなければならない。時間だけでなく割り増しのコストや労力も費やせねばならない。才能があればもっと短く安く効率よくできた筈だ。しかし、では、才あって短く・安く・手軽に勉強できた結果生まれる時間・お金・労力はどこに向かうのか。それは、才ある勉強以外の才無き部分、才に秀でてはいない部分、通常の部分に流れだろう。才少なき部分であるから、多分うまくは用いられまい。ならば、折角の勉強の才も結局は無用に費やされるのである。

 また我々は、勉強の先にあるものを求めて勉強する。勉強は通過点であって到達地点ではない。誰が受験勉強のある生活を理想としようか。時々はいいが、毎日は御免被りたい。合格後もそれを勉強する人が少ないように、勉強自体はその程度のものなのである。

 我々は勉強の才無き身であるからこそ、何度も何回も目を通さねば憶えられないし、時間をかけなければわからない。しかし、逆に言えば、勉強の才がないと言う事は、ほかの才能があるかもしれないわけで、ハズレくじを引くに比べれば幸いである。我々は勉強後試験後合格後の方が勉強そのものよりも大切である。ならば、「後」のに才があってくれよかしと願わずにはいられない。

 理解力や記憶力に乏しくてもそれほど悲観することはない。才能に溢れ早死にする位なら才能など無い方がいい。豊かな才能のためにぼろぼろの身体を抱え病院通いとなるなら少な目でいい。勉強の才はハズレくじ、それより他の才がいい。ならば、憶えても忘れる位の力が丁度いい、などと思って才無き我が身を慰めるのである。限りある身の力試さん。

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