心の音

 試験勉強は、得てしてうまくいかないものである。このため、つらく感じていたり、苦手にしていたり、めんどくさく思う人が大方であろう。では、どうして勉強がうまくいかないかというと、勉強の不安定さに理由を求めることができる。勉強というのは、兎角に一定しないのである。

 たとえば、「考えない方がうまくいく」というやり方がある。頭の中でやるべき理由や理屈をこねくり回すよりも、何も考えず無心でテキストを開き問題集を手にして、読んだり書いたり解いたりした方が勉強ははるかに進むというわけである。しかし、考えないのがいいのかというとそうでもない。やらずともいいところやでそう出ないところを無心に、無批判にやっても点の取れる実力は付いていかない。取捨選択なき無思考の勉強は、逆に合格から遠ざけてしまう。

 これまでうまくいっていたAという方法が、気が付いたらそれほど役に立たなくなっていたことはよくある。勉強においては、或る特定の方法があっても勉強のすべてを賄えないのである。

 勉強が一定しないのは、我々のやる気も一因となっている。最新のモチベーション理論を持ってこようが、動機付けの理屈を持ち出そうが3日ともたない。一度、やる気がぐんと出ても、それ以後の効き目は薄くなるばかりである。どんなに良く効く薬でも、服用を続けると効かなくなるのと同じである。このやる気の上がり下がりも、勉強を不安定なものにしているわけである。

 そのうえ、我々には、好調・不調のリズムもある。好調なときは多少やる気がなくてもばりばりやってしまうが、不調なときはテキストを開くのすら物憂いときがある。かくして、勉強というのは更に不安定化し、やったりやらなかったり、できたりできなかったりするのである。

 では、我々は、勉強の不安定さに常に苛まされなければならないのだろうかというと、そうでもない。不安定さを完全に取り除くことはできないけれども、うまく付き合って行くことはできる。それでは、どう付き合えばいいのだろうか。

 仮に、「情報が与えられていれば、気は楽になる」という処世訓を考えてみよう。たとえば、天気予報である。雨が降ると前もって知っていたときと全く知らなかったときでは、雨への受け止め方は違ってくる。全く雨を知らなかったときは、毒づいたり舌打ちのひとつやふたつするだろう。対して、知っていたときは、(ああ、やっぱり降ったか)程度の腹立ちで終わるものである。たとえ、傘を忘れて雨に濡れても、仕方がないと思う。少しの情報で、我々の反応は異なってくるのである。

 我々には、千里を見通す目も、10年20年先の時代を見る目もないが、今日明日のちょっと先のことはわかるものである。勉強の不安定さと付き合っていくには、今日これからの勉強がどんなものか、どうなるかを前もって知っておけばいいのである。少しの見通しでも立っていれば、気だけは楽になるものである。

 では、どうすれば、今日の勉強について前もって知ることができだろうか。それには、心の状態を第三者的に眺めるのがよい。第三者と限定しているのは、「〜すべき」とか「〜やるべし」とといった利害関係者の視点ではなく、他人事のように見るためである。眺めるとしているのは、心理学的な解釈をしないためである。理屈はいくらでも出て来る。素直に、虚心に、なんやかんやのフィルタを通さずに心の状態を眺めてみるのである。他人事のように心を見てみると、できそう・だめそうといった心の感じがつかめる。

 頭の思考はそれほど当てにならない。頭でいくらやろうと思っていてもやらずじまいになるのは多々ある。また、身体が勉強するに足る状態であっても、体調のよさからそわそわしたりで勉強からは遠ざかるものである。体調が優れないと勉強は進まないが、ならば体調がいいと勉強するかといえばそうでもない。身体も当てにならない。

 この点、心の状態で勉強がどうなるか判別すると、よく当たる。心がやれそうな感じだと、頭でやりたくないと思っていても、身体が疲れていても勉強できてしまう。逆に、頭・身体でどんなに勉強しようと追い込んでみても、心が着いて来ていないといい勉強にはならないものである。心の感じで勉強を把握していけば、無理な考えに取り付かれることもないし、無駄に力む必要もない。肩から力が抜けた方が、負担は軽くなるだろう。今日がだめな日なら、だめなりにやっていけばいいのである。

 個人的には、心の状態を眺めるというよりも、心の音を聞くといった方がしっくりくる。心に音があるのか?と疑問に思われるが、たとえば、我々は太陽の音を耳で聞くことはできないけれども、心で音を感じることはできる。さんさん、ぎらぎら、からりと太陽の音を表した言葉は数多くある。心がどういう音を発しているか、それを聞くようにすると、心の状態の取り違えは少ないように思う。素直になるのもひとつの方法なのである。答えの多くは自分の中にある。

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