問い重ねる

考え方ひとつという。うまくいかないときは、何が問題になっているのかを、いま一度問うてみるとよい。しかし、「問う」といっても、しっくりこないものである。

そこで、問うことを問いに使われる言葉から連想してみる。たとえば、「なぜなのか」とか「どうしてそうなるのか」とか、「いったい何なのか」といった問いを思い浮かべてみれば、問うことに、何か前提や原点となるものに戻ってみるとか、一歩退いて見てみるといったニュアンスを強く感じるのではないだろうか。

しかしながら、これは「問う」行為そのものについて見たときの話である。われわれが、問うことについて気を付けなければならないのは、問う代わりの行為はたくさんあるということである。たとえば、調べる、解析する、分析するといった行為である。今時分の言葉でいえば、検索してみる、データ・統計にあたる、といった言葉も問いに当てはまりそうである。

これら問いの代わりは、「問う」とよく似ているようではあるが、決して同じではない。それらは「〜とは何か。では、調べてみよう」といったように、接続詞の後に用いられるわけで、何らかの結果や結論、答えを求めている。たとえば、「調べてみた→新しい事実を発見した」「検索してみた→これこれこういうコンテンツを見つけた」といったように、何か新しいものを求めて行われるわけである。この点、前に戻って既存の事柄について考え直す「問う」とは大きく異なっている。

重要なのは、これら代替行為を通じて、新しい発見や事実、最新の情報やデータが10個、100個と集めたとしても、われわれは、その対象についてわかったことにはならないことである。あなたは隣で寝ている謎の下宿人について、他の誰よりも多くのことを知っているだろう。しかし、だからといって、その人を本当にわかっているかどうか、心許ないものがあるのも事実である。結局のところ、代替行為は問いの代わりにはならず、また、代替行為から引き出されたものも、問いが求めているものにはならないのである。

それでは、「問う」作業とは、どういうものであろうか。または、どうすれば、「問う」ことになるのであろうか。それは、問いの形式をシンプルに、答えを然りか否のみに固定し、明白にYESかNOで答えられるように考えていくことである。YESかNOで答えられない問いは、問いの設定そのものが悪かったり、問う対象への考察が不十分であったり、焦点がずれているのである。

たとえば、「いかに生きるべきか?」という問いは、YESかNOで答えられない。知ったこっちゃない。誰かの生き方を原稿用紙400枚分語られても、うんざりするばかりである。これが、「勉強だけの生活とは正しいのだろうか?」と問うたなら、幾分YESかNOで答えやすくなる。

今まで遊んでばかりで勉強らしいことをしてなかった人が発奮し、人生の可能性と新しい生き方を求めて学ぶのであれば、YESとなるだろう。スキルや技術、知識は豊富あるのだがいまいちぱっとしないときは、勉強以外にやるべきことがある証拠であるわけであり、そういう人の勉強の生活はNOとなるだろう。われわれは、答えを求めるのではなく、問いを追求していく方が、何かしら納得できるものを見出すことができるのである。

こうした然り・否の問いを幾つかしてみればわかるが、問う作業は、模範解答を得ることではないのである。出てくる問いと答え、そして、結論は、ほとんどが個別的なものであり、100人いれば100の問いと答えが生まれる。

われわれは個々に、靴のサイズですら異なっているのであるから、大は生き方や人生観、小は勉強の仕方からやり方まで、違ってきて当然なのである。ひとつの結論や理念で締め括れるほど、われわれは単純ではない。

問うことから問題の解決を求めるやり方は、奥行きと広がり、そして、再現ができる利点がある。「問い」というのは、主語や述語の言葉をひとつ変えたり、表現や言い方、前提や状況、手段・方法を変えたり見直してみるだけで大きく変わっていく。われわれは、問うことに習熟することで、問いはぐっと洗練され、己が本当に問いたいことへ絞り込めるようになる。

また、良い問いは、問う対象と己の問題について、飛躍することなく、はしょることなく、ひとつひとつ確かめながら納得して考えていくことができる。問いの過程と結論は、手帳やメモ、日記に書き記しておくと、いつでも再現できるし、そこから、新たに考えを深めたり広げたりすることもできる。答えや結論の類は得てして固定化されてしまうが、「問い」は縦横無尽に生成していくものなのである。

七転び八起きという。われわれの求めているものは、7回以上は問い重ねてようやく納得できるものが生まることを寓意しているのであろう。問いとともに考えを重ねていく。そこにこそ、あらゆる属性から解き放れたわれわれの個性が垣間見えるように思う。

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