良くはないだけ

来年のことをいうと鬼が笑うという。とはいえ、この12月の中旬ともなれば、来年のこととはいえ来月のこととなる。こうなっては、来年のことを考えても鬼は苦笑するばかりであろうから、考えてもよかろう。とはいえ、来年のことを考えようとすると気が重くなってくる。昨今の経済事情や政治の機能不全を見るにつけて、その思いを深めてしまう。

驚かせたのは、われわれの国の脆弱さである。某国の株価下落をもろに受けてぐだぐだになっている。某国の、優れた金融技術や進んだ金融工学などと吹聴されていたものは、蓋を開けてみればこの体たらくであった。金融技術や金融工学の最大かつ最高の『技』が、公的資金の投入である。わいわい大騒ぎしてやばくなったら泣きつくなんてことは小学生でもできる。低学年ならまだしも高学年ならやらないだろう。「金融ほにゃらら」はまさに子供だましの最たるものであったのである。経済を語るのに教授の肩書きは要らないこと、小学生の常識が通用することが判明したのである。そんな、脆弱でよくはわからないものに乗っかって招いた事態が昨今の経済の不安定さである。

経済と政治の関係にも首を捻る。某国には国民皆保険制度が無い。医療保険は民間の保険で賄われている。しかし、それがひどいのだ。某国の医療制度は下から数えた方が速いくらい、悪い。医療の質とサービスの順位はキューバ以下である。隣国カナダにバスに載って医薬品を買うパックツアーがあるくらい医薬品が高額である。海外旅行先の某国で怪我したら数百万の請求書が送られてくるのは厳然たる現実の話である。それなのに、わが国の医療体制が非効率で赤字だからといって、相対的に、かの国のような民間保険による医療体制が良いと吹聴してきた人と、テレビ・新聞という機関がある。そして、それに乗っかったわれわれがいる。市民病院や小児科医の惨憺たる現状を見よ。

これまでかの国は、皆保険制度を社会主義医療といって卑しめ、忌み嫌ってきた。それが、ある特定の製造業には公的資金を入れるかどうかでもめている。おそらく、何らかの小難しい条件付で可決されるであろう。ただで借りられるローコストの資金を見逃す経営者がいるであろうか。そして、おそらくは、受け取った公的資金は現金ではなく、自社株と交換で返還するつもりであろう。ならば、いっそのこと国有化されてしまえばいい。そして、わが国は自由主義の旗手ではなく、社会主義製造を目指すとでも吹聴すれば良い。社会主義金融を採るかの国にはお似合いであろう。

某国が咳をすればわが国はくしゃみをするという。わが国でも、事があれば特定の製造業に公的資金が投入されるであろう。かの国でやったことをやらないわけがない。そして、右へ倣いで、製造業から不動産業まで公的資金の枠組は拡大されるだろう。ならば、いっそのことすべての産業を国有化すればよかろう。鉄道・通信・郵便といった基盤産業は民営化して、そのほかの一般産業を国有化していけばいい。社会主義金融と社会主義製造、そして、社会主義サービスの国となれば失業率も減る。ソビエトになるの時間の問題だ。

っと、いっては見たが、われわれは先々に不安はあるも、それほど悪くはない時代を生きている。江戸時代に戻りたいか?といわれれば戻りたくない。現代は人間関係が希薄になったというが、ならば濃密なのは良いのであろうか。主家や宗家が威張り散らし、人別帳に名前がないと生きていけない日常、5人組といった刑事罰の連座制、暮れや盆には上司や親戚、主家に家族総出でご機嫌伺いに向かうような生活はしたくない。明治・大正に戻るのもいやで、徴兵されるのはたまらない。もちろん昭和前期もいやだ。意味もわからず南の島にリゾートに行かされるのはご勘弁願いたいし、昭和中期の馬車馬のように働くしか生きる道がない時代もいやである。

そんなことを考えてみると、いうほど、現代という時代は悪くはないのである。凄く良いといえないだけで、悪くはない。飢えた経験はないだけでも、良い世の中である。わたしは、偽善や騙しの類は多いにせよ、基本的に世は良い方向に進んでいっていると思う。

結局のところ、前向きに生きるしかないわけである。いくらでも否定的な意見や情報、データはある。しかし、それらが思いっきり間違っていることもある。ゆえに、今年のことを思い返し、来年のことを考えるときには、「悪くはない」をベースに見ていくことである。「悪くはない」から考える利点は、良さと悪さをバランスよく見られることである。(これでいいんだ、いいんだ)と思い込むのも病的であるし、全然だめ・最悪としか考えられないのも健康的な思考ではない。基本的に、正当かつ相応の努力をしていれば、良いほうに道は開ける。われわれは善を志向するものである。

お茶を飲みながらでもいいので、今年も悪くなかったという点から考えてみることである。困った現状でも、見方を変えるだけで開けもする。健康だけで万々歳という人もいよう。そして、よかったことを手帳や日記に書き記していくことである。そうして振り返ってみると、良かったことの少なさに気づくものである。ならば、それこそ、発奮のチャンスである。あと3週間もある。念願の「○○」を思い出すがよい。○○だけはやりきってしまい、「今年は○○を達成した」「○○を済ませた」といえるように、良いことの追い込みをかければよい。今年も善かったとさぱさぱして年を越えるのが、善く生きる秘訣であるように思う。追い込みは試験だけの技術ではないのである。

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