考えない人へ

「すべてを疑え」というが、本当だろうか。では、逆に、こう言い返してみよう。「あなたは、すべてを疑っているのか?」と。妄信や盲従はやめましょう、というのであれば異存はない。しかし、そうなると、すべてを疑う必要はなく一部を疑えば済む話である。また、命令口調も癪に障る。「一部を疑ってみよう」程度に表現を和らげるべきであろう。

疑うことを自分の信念・信条としたのは、かの有名なデカルトとマルクスである。我々にとって彼らは難し過ぎるので彼らの学には立ち寄らない。おそらく、敷居を跨げないし、ドアも開かないだろう。

われわれが問題とするのは彼らの言ではなく、彼らの言を借りる者である。字面のみを追ってしたり顔をする連中である。「すべてを疑え」というのであれば、こう聞いてみたい。あなたは御結婚をなさってますか、お子さんはおりますか、ならば、その子が自分の本当の子であるかどうかは疑ったことがあるのですか、と。財布のなかを見せてください。本物かどうか疑ったことはありますか、怪しいのでわたしが一時預かりましょう、と。おそらくばつの悪い顔をするであろう。

すべてを疑えといっている割に、当の本人は疑ってもいないことがたくさんあるのである。全てを疑わねばならないのであれば、いま履いている靴が自分のものであると確かめるのも時間がかかったであろうし、仕事場に行くのも一苦労であろう。場所と経路を確かめねばならないわけであるから、遅刻の連続であろう。

先ほどの例でいった、我が子を疑おうとしたなら、家庭は凍りつくであろうし、子供にも深い傷を負わせることになろう。どの世にDNA鑑定をして親になるものがあろうか。このように、すべてを疑ってみれば、日常生活は成り立たないし、家庭生活も破壊されるし、社会人としての生活も破綻するのである。いったい何処に、すべてを疑える人がいるのだろうか。

すべてを疑え、と同じような語り口調でいわれるのが、「考えよ」である。この言を発する人は、苦虫を噛み潰したような、ロダンの考える人像のように考えることを推奨しているのだろうか。

しかし、明らかに、考え込んでいる人は陰気である。あの像の考えていることは何かわからないが、楽しいことや嬉しいこと、朗らかなことではないのはわかる。考えているのは、厳しい経営環境、楽しくない人間関係、わびしい家庭生活であろうか。鬱々とすること請け合いである。下手な考え休むに似たりという。下手に考えても名案は湧かないわけで、昼寝や居眠りをこいている方が賢明であるわけである。

さて、「疑う」と「考える」を見てきたわけであるが、その目的と目的とするところは何なのであろうか。簡単にいってみれば、最終的な目的は「〜しないこと」である。考えないで済むように、考えないようになるために、われわれは考えている。疑うも同様である。われわれは、疑いのない状態を、疑わなくてもよい状況を目指しているがこそ、疑ってかかるのではないだろうか。考えや疑いがなくなってこそ、能率であり効率であり、そして、理(ことわり)であり、われわれのいう成長と進歩ではなかったか。

水道の蛇口をひねれば衛生的な水が出ることをわれわれは疑いもしない。しかし、水道は何か、蛇口とは何かと考え込み、水が出るかどうか、水が綺麗かどうかを疑うよう人は、劣悪な社会インフラに在る人であろう。ここには考えと疑いはあるが、これは進歩といえるのだろうか。わたしは御免蒙りたい。

とはいえ、「疑うこと」や「考えること」のすべてがダメなわけではない。真逆の全く疑わない、考えないというのも全く困る。われわれは、怪しい人・物・事のポイント・要所で疑えばいいわけであるし、程よく考えていけばいいだけである。頭の痛い問題で考え込んでいる人は、何をしたら、何の情報があれば考えないで済むかを考えていく。必要なものもわからずにいい考えは浮かぶまい。何かに嫌疑を抱いたときは、どうすれば疑わなくなるかを考えていく。考えたら済むことなのか、疑って疑いを晴らしうる手段、方法、証拠を見出せることができるのか、こうした点から理を積み重ねてみる。それ以外は、考えのための考え、疑うための疑いとなりかねない。

完成した知とは、これ以上考える必要もなく、一点も疑うところのないものである。ならばわれわれもそれに倣い、いかに「〜しない」ようにするかを求めていく方が建設的であり、賢明とはいえないか。無知は大智に至ると古人はいった。

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