本物の強さについて

凄い人はいる。前人未到の記録を打ち立てる人だ。とはいえ、凄い人というのは身のまわりに結構いるものだ。抜群の数字をあげる人、年から年中活動する人などである。常人の倍努力する人である。手を伸ばせば届きそうであるが、到底あの努力は出来ないと思わしめるのが凄い人である。しかし、上には上がいるという。

凄い人の上をいくのは、偉大な人である。偉大な人は別段、特筆すべき記録を保持していない。記録は塗り替えられてしまった。業績・成果は過去のものとなった。しかし、目に見える形はなくなったとはいえ、みんなの記憶には残っている。往年のスターやスポーツ選手、業界・各界の礎を築いた研究者、経営者である。さて、それではしかし、上には上がいるという。偉大な人の上に人はあるのだろうか。答えるならば、ある。偉大な人を超えると人はどうなるか。その人は、わからない人になる。

これまでこのコラムでは、永遠なるもの、これからもそうであろうことを述べてきた。「勉強」という単語を、人生や行き方と言い換えても通じる内容にしてきた。すぐに風化する時事問題や特定の事件、特定の人を対象にすることはなかった。しかし、今回は趣向を変える。特定の人について述べようと思う。プロレスラー、小橋建太という人についてである。

特段、プロレスの素晴らしさや、プロレスラーの生き様云々を述べようとは思わない。プロレスだけが素晴らしいものではないだろうし、レスラーだけが生き様を語るものではない。パン屋の職人、総菜屋のコックさんも素晴らしいし、小学生やサラリーマン、主婦からゲームセンターの店員、日本銀行の行員からノラネコまで生き様はあるだろう。

わたしは、プロレスラー小橋建太を通じて人間を考えたい。人は、自分の経験からでしか世の事象を計れない。人はなにかにつけ簡単に「もうダメだろ」と断を下す。人について、物事について、世の事象について、そして己れ自身に対して、簡単に判断する。わからないことではない。当の渦中の本人は他人以上に事情がわかる。それ故「ダメだろ感」は強くなるものだ。理性的に考えればそうなることが多い。そして、あきらめるか違う道を追い求める。それを挫折というか転進というかはそれぞれであるが、多くの人は紆余曲折を経て今がある。

しかし、小橋建太は違う。プロレスラー小橋建太は、今もプロレスラーである。多くの目を背けたくなる挫折と栄光、そして栄光からの脱落。幾多の試練を乗り越え、そして前人未到の挑戦をしつつプロレスを続けている。彼は、20代に膝を酷使する技を多用したため右膝を悪くした。ガチガチにテーピングをして試合をするようになる。しだいに右の靭帯はぼろぼろになる。片方が悪くなれば、もう片方の方に過分な力が入る。無理をするうちに、肩を借りなければ歩けなくなった。靭帯は、お年寄りの膝以下に弱ったという。そうして、膝の手術に踏み切り長期の療養を余儀なくされた。

しかし彼は挫けない。常人の数倍?!のリハビリを経て復帰する。時代が開いた。多くのファンが彼の試合に酔いしれる。激しい試合内容、尽きることのないプロレスへの情熱。この時点で「小橋建太」という人は、多くの人の予想を超えていた。しかし、栄光は数年で終わる。彼に腎臓ガンの告知が待っていた。2006年の6月のことである。右腎臓摘出手術を受ける。そして、2007年12月2日。彼はガンを乗り越え復活した。

膝の怪我からの復帰というのは、まだわかる。膝の故障もつらいとはいえ、日常生活に支障あるくらいである。立ったり座ったりが億劫になったり、動作に不都合もあるだろう。痛みもあるだろう。しかし、人はいつしか慣れる。そういうものである。挫折と栄光、そして転落もよくある話である。多かれ少なかれ、人はそれを味わう。テレビや映画のスクリーンにも溢れている。ありふれている。

しかし、ガンに至っては話は一変する。主治医は、プロレスのすべてがガンによくないといっている。練習ですらよくない。小橋建太は40歳である。ガンの生育も早い。素人でさえ知るガンの事実である。しかし、それでも小橋建太は再びリングに立った。ガンである。自分の後ろ半分には暗黒の死の影が待っている。それでも彼はカラダを作り直し、練習して、リングにたつ。バーベルを1回持ち上げるのですら、死の影がちらつくのである。もはや、わたしの理性や理知を超えた。

たとえば、自分がひどい自動車事故に遭遇したとする。正面衝突で下半身の骨はグチャグチャにつぶれたとする。長い入院生活、リハビリを経て社会復帰した。そのとき自分は、車というものに拒否感があるのは容易に想像できる。社会復帰後数年は、後ろから車のエンジン音が聞こえてもびくつくだろうし、車に乗ることさえ、近づくことさえ忌避するだろう。羹に懲りて膾吹くである。生死をわかつような大怪我や事故にあえば、わたしはそれと同じことをやらないだろう。先ほどの事故でいえば、車には乗らないし運転もしない。

小橋建太の腎臓ガンの手術を執り行った主治医は、「実験」といっている。人は、ガンを背負いながらも、スポーツや激しい運動が可能かどうかというわけである。いうならば、前人未到の挑戦なのである。おそらく主治医のもとには、激しい運動がガンの予後によくない事実を示す統計、データがあることだろう。そして、医者としての責務と人間としての良心から、プロレスへの復帰をとめたことだろう。医者以外の周りの人も同様に、心から、利害得失なく、止めたであろう。親しい友人や恩師も止めることであろう。独身なので配偶者はいないが、結婚をしていたら嫁も止めたことだろう。命あってこそである。それでも、小橋建太はリングにたった。臨床的に、統計的に死の可能性がちらついているにもかかわらずである。わたしは、ほんとうにわからない。

プロレスは茶番である、八百長であるという。何でそんなものに命を賭けるのかと、多くの人は思うであろう。そうであろう、正論である。また、準病人に何をさせるのかという批判はあるだろう。実際にガンと戦っている人、ガンで大切な人を亡くした人の心境は複雑だろう。しかしそれでも、わたしは、彼に尊敬と敬意の念を抱かずにいられない。

彼は、誰にも強制はされていない。自分の意志である。自分の信じるもののためにリングにたった。そして、その信じるものは何かというと、当の本人にもわかっていないようなのである。もちろん、わたしたちにもわからない。おぼろげにはわかるが、それが何かをいわれれば言葉に窮する。よくわからないが信じるそれに、とてつもない才能と情熱、そして生命を賭けて、全力で真剣に生きている人がいる。看板に偽りなく命を賭けている人が確かにいるのである。

人類の歴史の上で、特定の個人、特定の教義、特定の信条、特定のイデオロギーに殉じることは多くあった。そして、これからもあるだろう。特定のものに強制され、また、直接的ではないにせよ間接的に、ふんわりと遠巻きに強制されることはあった。それを正当化する言は、何百何千何万言とある。古紙回収業者も辟易しながら引き取るだろう。しかし、小橋建太は自分の自由意志で生死の挑戦を続ける。これは古人の言にもない。

正直なところ、わたしは、小橋選手の若手時代、そして団体を変えての王者時代に強さを感じなかった。凄い筋肉をしている、無限のスタミナがある、技術の習得に熱心である、情熱がある、技が豊富である。凄いな、とは思っていた。優れたいいレスラーという感想を持っていた。しかし、強いなという思いは全くなかった。

2007年の12月2日、一回り小さくなったがしっかりとカラダを作って武道館のリングに立つ彼を見た。そのとき初めて「強さ」を感じた。まだ、試合のゴングは鳴っていない。戦ってもいないのにである。武道館1万7千人はそのとき一人の人間の強さに心を打たれた。テレビの前の人を含めれば、いったい何人が彼の強さを感じたのだろう。少なくともわたしには、圧倒的な感情があった。

本物の強さとは見ただけでわかるのだと悟った。見ただけで人は強くなるものだとわかった。本物の強さを見れば、誰でも昨日より強くなることを彼を見て知った。本物の強さとはただ見るだけで人を強くするのである。

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