勉強以外でお勉強

資格試験の勉強には、論理的に考える必要がある。論理的な考え方ができないと、長い記述が続くテキストを読み、こしゃまくれた問題や捻くれの芸術品である過去問を解くことができなくなる。これらは難しくはない。ただ、論理を追う行為が日常生活では少なく、どう向かい合えばいいのかわからないのである。

市販されている書籍には、「よくわかる論理学」などといった本が溢れているが、これらは絶望的につまらない。そもそも、われわれは専門的に論理学に殉じるものでもない。テキストをさっくり読んだり、試験問題を効率よく解いたりしたいだけである。そしてなにより、後ろに試験勉強が待っているのだから、つまらない時間は過ごしたくない。

さて、それでは、これらのわがままな条件を満たした論理の学び方があるのか、というわけである。

あることにはある。試験勉強向けの論理思考を身につけるには、推理小説を読むことである。

推理小説の楽しい点は、犯人探しとトリックの解明にある。わたしは、推理小説を読むときにある既視感を味わった。アレコレ犯人見当をつけながら、何冊もの小説に当たるにつれ、推理小説の犯人探しと試験問題での選択肢の吟味には、実に共通点が多く、相似通っていることに気づいたのである。

まず、両者とも紙の上に書かれたことだけで判断しなければならない。試験なら問題文しか手がかりがないわけである。推理小説も、これまで述べられた中に、ヒントとなる証拠、手がかりが必ずちりばめられている。そうでないと、物語が論理的でなくなるからだ。下手な推理小説だと、ラストの1章で突然の新事実、新証拠、新証人が出てきて、読者に考えさせる暇なく話を〆てしまうが、上質の小説となれば、犯人の決め手となるキー記述を必ず紛れ込ませている。

推理小説を読むときは、何か怪しい部分を探しつつ、そして、気になる点をアタマに留めながら読む。怪しい人物がほどほどにいる。「この人ではないか」と見当を立てて読んでいくのだが、この見当が選択肢吟味のトレーニングになるのである。

怪しさを感じる練習、とでもいおう。たとえば、小説中の設定では登場人物扱いになっているのに、ほとんど会話に入ってこない人物がいれば、まずキーマンとなる。小説では脇役であれば「若い刑事は去っていった」とか「女性のコンビニ店員は」などと、名称すら与えられずに幕外に消えるものである。名前があるのは作者から役割を与えられた証拠である。しかし、その人物が未だ何も話の筋に絡んでいなければ、十分、あやしさの根拠となる。人物の描き様がこれまでの人物とは明らかに異色なのである。こうした人物への違和感をつかみ、そこから記述の大海に入っていけば、読み方が鋭く、深くなっていく。

選択肢にも、なんだか変だ、としかいえないものがある。テキストの感触と違っており、過去問の出題タイプでもない。舌足らずな選択肢だな、おかしい記述だな、と怪しさに勘付き、見当をつけることは、選択肢吟味の上で実に良い着眼点になる。怪しさから選択肢を考えるのである。こうした選択肢は、大概、最終解答ギリギリの段階まで残ってくる。怪しさを感じることで、選択肢の罠の発見や難解な判別を優位にもっていくことができる。

また、試験問題の選択肢を絞るのと、登場人物中から犯人を絞る作業も似ている。試験問題に?〜?までの選択肢がある場合、明確に白黒つく選択肢ばかりではない。選択肢のほとんどは、完全に絞りきれるものではなく、あやしいのをふたつ、みっつまでに絞るのが関の山である。

推理小説も、読者は完全にはトリックを見出せない。そこに、作者の推理小説家としての力量があるからであるが、良質の小説になればなるほど、読者の想像の範疇を超え、しかも納得のいくトリックを持ち出してくる。良質の推理小説であればあるほど、「犯人は多分、彼であろう。しかし、トリックがわからない」状態になるのである。両者ともギリギリのところで、最終的な答え、最終的な犯人を絞り込めない。そして結局、最終的な答えを出すのは、感性・感覚の世界の話となる。試験においては、究極的には正解さえ選び出せれば良い。その理由はわからずとも、鼻を利かせて正解さえ導き出せればよいのである。推理小説での犯人あては、実に感性を磨く訓練になるのである。

このように、推理小説の楽しみと選択肢の吟味には、多く被る点があり、良質な推理小説は楽しみながら学ぶにはうってつけの教材であるといえる。そして、この学び方はほぼコストがかからない。本格的な推理小説は下火なのか、町の本屋には置いていないのである。わたしは町の図書館で借りた。書架になければ書庫に名作の大概が揃っている。読んだことがない人は、エラリー・クイーンの国名シリーズから読み始めることをお勧めする。物事を冷静に観察し、事実と論理を積み上げながら物語を読み解いていく快感を味わうことができる。10冊も読めば間違いなく、選択肢を、解説を、テキストを読む力が増大していることだろう。

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