自分のやり方

自分のやり方について考えてみる。「自分のやり方でやってみなさい」と人はいう。そう聞くと、自分の好きなようにやるのが一番よい、一番適していると考えてしまうのも無理はない。

しかし、「自分のやり方」の意味は、サイズ合っている、しっくりくる程度の意味合いである。パンツの寸法、靴下の大きさと同じ意味合いなのである。

「自分のやり方」なのだから、その人の「自分」には適しているとしかいいようがない。あなたのパンツの寸法とわたしのとは違う。履いても気持ち悪いだけだ。隣で寝ている人のシャツでさえ、着れば違和感をもつだろう。それは、気持ちのすれ違いだけではない。

自分のやり方が、方法として正しいかどうかは別の問題なのである。

自分のやり方は、良くもある。目的と方法が合致したときである。作業は、ブースト加速、目を見張る成果がそこに生まれる。しかし逆に自分のやり方は、悪くもある。事態に合わないときである。坂を転げ落ちるかのように失敗する。光源氏のやり方は、紫の上にはうまくいった。が、女三宮では失敗した。その上、子にまで影を与えてしまった。稀代のプレイボーイでさえこうなのである。況やわれわれをや。

こう考えると、自分のやり方を神聖視するだけでは不足する。白眼視だけでもよくない。自分のやり方というのは、良くて悪いものである。「良くも悪くも」なんて、ごく普通のことで、特別なことでもなんでもない。良くて悪いなんていう両面性なんて、日常のどこにでもある。隣で寝ている人の顔を眺めるがよい。愛であり憎しみであり、そして我が身を振り返り哀しむのである。

自分のやり方というのは、大きく飛躍し大成功、気分は高揚高らかになる。しかし、一転、まだまだどこまでドン底まで落ちる危険を孕んでいるのである。隣で寝ている人、寝ていた人の顔を(以下略す。)

われわれは独学に、この種の毒が多分に含まれている事を忘れてはいけない。

うまくいったAがあるとき、われわれは、そのやり方をBやCにあてはめたり改良したり、応用するなどして、成功を繋げようとする。このとき、忘れてしまうのは、A、B、Cのそれぞれは別のものということである。そのものの持つ特殊性、時間の経過による風化など、同じように同種のように見えようとも、なかなか「同じもの」というのはないのである。いつの間にやら効かなくなった流し目やくどき文句を思うがよい。そういうことである。

うまくいかないと「毒」が、じわじわと進行を始める。典型的な姿はこうである。「コレまではこれでよかったのだから、コレでうまくいくのだけどなぁ」。そして、問題は解決するどころか、同じところをぐるぐるまわり始める。犬が自分の尻尾を追いかけるように。仔犬なら笑みもこぼれるが、いい大人なら見栄えのよいものではない。

次第にそれは当初の「何か」に向かわなくなる。方向は「自分の正しさ」に切り替わり、拘泥していく。持ち前のバイタリティが、遺憾なく発揮され事態をさらに深刻にする。

毒が全身に及んだとき、「自分は正しい回路」が完成する。自分は正しく、他が悪いからできないのだ。こうなってしまうと手遅れである。この回路は、自己修復、自己増殖、自己進化する。諭されようが元に戻っている、どんな熱心な説得も聞かない聴かない効かない。屁理屈クソ理屈の量がすごい、あーいえばこーいう。突拍子のない理屈で自分の正当性を展開する、首を傾げるしかできない。

自他ともに最悪な状況となる。本当の事をいうと、本人が一番最悪な状況に陥っているのに、認められない。救いようがなく、救われない。手出しは無用である。距離を取るべし。相手になるのは、神か仏のみである。この手の回路を完成させてしまった人は、現実にいる、実存する。ときどきの「アラ?」「あれ?」を大切にする。両親がそうでなかった事を祈りたくなる、孝行のひとつでもしたくなるさ。

純度99%の正しさは、毒である。身の破滅をもたらす毒である。中毒患者は、自分が中毒にあることがわからない。自分にとって自然だから、その不自然さを把握できないのである。

アレコレ悩み不安を抱えるほうが、健康的なのである。自己否定するくらいが、健全なのである。過すれば害あり、自己否定といってもトコトンまでのそれでなく、「ダメやのぅ」「これでえーのかのぅ」くらいに訝る。2割くらいでよい。

2割の否定感は、未来に根ざした根源的な不安である。仕方のないものである。この2割を無理に埋めようとするから、ヘンなことになる。性格が曲がる、歪む。カルト集団に惹かれ、狂信宗教団体に近づき、特定のイデオロギーを信奉して埋没しようとする。その害に較べれば、多少の欝めいたの悩みの方が、茶飲み話や酒の肴になる分、トクであろう。われわれは、ボロを着、はだしで歩いていた原始宗教家にも、後世の奢侈めく宗教家にも疑問を憶える。であるからこそ、健全といえるのである。

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