補助線思考

わたくしたちは、日々のお勉強で試験に合格するための情報を集めています。

合格のための情報で中心となる本線は、いうまでもなくテキストや問題集、過去問の解説にあります。いくらダベリが独学にはない情報を含んでいるといっても、この本線から外れると合格できません。

さて、試験は受験をしなければいけません。受験に関する情報は先ほどの本線に対して従線ということができましょう。願書は書店配布か郵送か、取りに行くのはどこへ行く、受験料は振り込みか、などが従線にあたります。

本線と従線の情報は、はっきりいうとお勉強の過程で入手してしまっているものです。テキストのオマケについてくることもありますし、多くの過去問では最近の試験の概要がついてくるものです。

わたくしのこれまでの独学を通してみますと、本線・従線の情報は、高度な情報網なんて作らずとも自然と集まります。テキストや過去問は選び方を間違えない限りダイジョウブですし、よっぽどズボラな人でない限り受験の申し込みを忘れるってなこともないでしょう。

前節で述べた取るに足らない情報は、本線従線のどちらにも当たりません。

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独学を続けていくためには、「補助線」の発想が必要です。補助線は、自分とお勉強とが、どう関わっていくかの線引きです。

合格を果たすための情報は、本線と従線にあります。
お勉強を続けていくための情報は、補助線にあります。

こう考えれば、よくわかるかと思います。

合格体験記等で学校へ行ってもダベってばかりで、不合格になった人が登場します。わたくしは、落ちたとはいえどもお勉強をし続けた点を重視します。いかにダベリやおしゃべりが、お勉強を続けていく上でのやる気の維持に関与しているかというわけです。

おしゃべりやだべりというと、現在ではインターネットのBBS等で代用できるかと思うかもしれません。しかしそれらでは、身近に感じられません。親近性が皆無なのです。

おしゃべり・だべりから得る情報には、皮膚感覚があるからです。体温や声の調子、空気の振動、瞳の色といったカラダを通して得るものを、ネットでは吸収できないのです。

やっぱり、無理です。

インターネット上の書き込みやメール等ではおしゃべり・だべり情報の代用にならないのです。どうしても、わからないのです。長く語れば精度99%で伝わるかもしれません。しかし、ネット上で長い文章はよく読まれない、つまり結局は意が通じないことになるのです。

そんな?と思いの方がいるかもしれません。簡単に実感できます。「夏目漱石」と検索するだけです。

「吾輩は猫である」は、文庫だとテンポよく読めるのに、web版だと全くおもしろくもクソもない時間を味わえます。なんともない。数ページで読みが終了します。印字してようやく読めるといった塩梅です。

互いに顔を見合わせて同じ境遇どうし「がんばろう」と言いあった、なのに一方がどんどん成績が上がればコノヤロウコンチクショウアンニャロウと気張るのは自然の理でございましょう。メラメラと発奮するこというまでもありません。

しかし、ネットでこの種の「がんばろう」やらなんやらに触れても、ほとんど持続性がありません。次の日に憶えておけば御の字、1週間後には何も憶えていません。匿名である情報は、同じ内容であっても受け取る側には希薄なのです。

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独学では、日々のお勉強と繋がっていく皮膚感覚が不足しがちなのです。専門学校に通って受験仲間と接すれば、この感覚は自然と出来上がっていきます。しかし、独学にはそれがない。本当に少ないのです。


やる気は戦術です。

足りないものは、補給をするか代用代替するものを用意しなければならなりません。

コンスタントにたゆまずお勉強を続けるよう推奨されるのは、それが一見遠回りでも一番ロスが少なく合理的な手法だからなのです。

たゆまず続けていくために、取るに足らない皮膚感覚に基づく情報を、何で補っていくかが独学の隠れたテーゼです。

次回のコラムでは、いかに自分とお勉強との間に補助線を引くかを考えたいと思います。

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カラーバス転じてにつづきます。

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