合否とは、鼻毛の差

お勉強をしていると現れる諸問題。

そのなかでも今回は、「くよくよ」に絞ってお話を進めたいと思います。

なぜ、わたしたちは、「くよくよ」してしまうのでしょうか?

今回のコラムでは、3本立てで「くよくよ」の構造を明らかにして行きたいと思います。

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・落とすのが試験

資格試験とは、単に合格・不合格の区別をつけるものです。とはいえ、この区別は曖昧至極。

合否のお話は受ける時代で、大きく変わってくるのでございます。

試験の受験者が少ないと簡単で、多くなれば難関となります。

年配の税理士さんから聞いたのですが、「今の人はかわいそうですね」と仰ってました。

現役ベテランの税理士さんでも現在の試験問題には、「??」だったわけです。

現在の受験生は、試験で膨大な「??」を経ねば合格できず、合格後は、実務をゼロから積み上げねばならない過分な現状を指して、表現したのでしょう。

試験とは、タテマエ上、その資格の保持者としてふさわしい知識・見識を持っているかどうかの調査です。

が、単なるふるいにかけているのは紛れもない事実でございます。

試験というものは、落とすためのもの。

そうお心を決め、腹を据えないと、途中で「なんでこんなことをしているんじゃろう?」と詠嘆してしまうのでございます。

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・小さなことでしか勝てない

試験とは、落とすための「ふるいわけ」の作業でございます。まずは、そう、お決めになることをお勧めいたします。

ホームセンターにいって、お砂糖や小麦粉を滑らかにする道具「篩(ふるい)」を眺めるがようございます。

わたくしたちの受ける試験とは、篩の網の上にいかにして残るかの勝負なのでございます。

試験は、落とすためのものでございますから、問題を出す側にすれば、どうにかして落とさなければなりません。そこで、出題をどんどん細かく、複雑化していくのでございます。

経験があるのではないでしょうか?いじめ・いびりでよく取られる形式は、どーでもえーことで難癖をつけるのを。

もちろん、試験とそれらを同列には扱えませんが、同心円の構造であることは間違いありません。

土俵の外に相手力士を押しだせば勝つのが相撲のルールのように、試験では「細かい知識で勝つ」というのが、事実上のルールなのでございます。

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・無意味さとの戦い

無意味には、文豪ドストエフスキーが語った、シベリアの刑務所のエピソードがございます。

半日をかけて穴を掘らせ、そして半日をかけて埋めさせる作業を続けさせる。

このような作業を強いると、どんな頑強な暴れ者でも精神に不調をきたしたといいます。

人間は、痛みや寒さには耐えられますが、行為の無意味さには耐えられないのです。

資格試験には、そこかしこに無意味が転がってございます。

たとえば、ある届出が3ヶ月以内でした。これを試験で、2ヶ月と解答したらグッと不合格に近づきます。

実際、届出関係は机の前に貼るか、忘れて調べるか位です。しかし、試験のためには憶えねばならないのです。

極端に申しますと、試験の合否とは、鼻毛の差の積み重ねで決まるといえるのでございます。

身体感覚的におかしいナァと気づきながらも、鼻毛の知識で1年の努力が実るか否かが決まってしまうことを暗喩したのでございます。

理不尽ではございますが、資格試験というのはこのようなゲームなのでございます。

やる気のメルトダウンにつづきます。

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