選択肢:前編
資格試験には切っても切れない、選択肢。 今回のコラムでは、この選択肢なるものを、もうちっと詳しく考えてみようと思う次第でございます。 また、選択肢の概念を、実生活にても役立たせたいナァという試論もオマケにつけています。 選択肢というのはこういう風にも考えることができますよ、というわけでございます。 では、お茶とチョコレートを用意して、肩のお力を抜いてお付き合いくださいませ。 長文なので時間があってお閑なとき、または眠れない夜のお供にドウゾ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ・あいまいなのよね−曖昧が普通 選択肢を考えるにあたっては、まず、資格試験に限定しないことから始めたいと思います。 選択という行為を、資格試験という狭いところからみるのではなく、大きな文脈の中で見てみれば、「資格試験の選択肢」なんか、ホントなんてことはないことがわかるからです。 本節では、生きとし生ける中で一番難しい選択行為といえる「お見合い」を例に据えて、選択肢というものを考えて行きたく存じます。 基本的に、お見合いは難しいものでございます。配偶者の選択は、とびっきり難しい人生の選択のひとつと数えることができましょう。 商売の失敗は一時の損ですが、結婚の失敗は一生の災害と申します。ですから、これまでの人生で培った全てを投入しても、失敗する可能性が厳然と残っているのでございます。 スッキリした気持ちで朝を迎えられるなら、その御結婚生活は上々でございます。 朝起きて、「またあいつと顔を合わせねばならない」ご家庭・ご夫婦もございます。見るのもいやだけど、いやな気分にも慣れきった人たちもおられるのです。 鴨長明もビックリするほどの無常観でございます。清少納言ほどの文才を持った人でも、筆にできず逃げてしまう「もののあわれ」ぶりでございます。「いとかなしげなり」では、とても筆足らず、涙で目の前が曇ることでしょう。 失敗したときのリスクが大きく、加えて、自分の将来を質草にしたのが、配偶者選びでございます。 加えて、お見合い当事者それぞれの過去が入り混じるは、将来の思惑、夢想空想、夜の希望に期待、恐怖に不安が交じり合い、まさにお見合いは感情の見本市、ルール無用・むき出しの格闘技でございます。 預言者や予言者、占い師の職が有史以来存続するのも、未来の不確実性に由来するものでございましょう。 未来なんてモノは、本当に曖昧で漠然としているもの。しかし、有史以来、人たるモノはそんな未来に選択を積み上げてきたのでございます。 配偶者の選択に比較すれば、試験の選択肢など鼻毛以下の存在でございます。 試験の選択肢なんて、人生の問題にくらぶれば、おはなしにならないほど簡単である、ということを思い至って欲しく存じます。 ご家庭を持っている、幸運なことに×が付いている、このような方は、まず「わたくしは、最も難しい選択を行ったのである」と、鼻高々に、胸をお張りになってもよろしいのでございますよ。 まずは、呑まれない。 選択肢上手になる秘訣でございます。そして、もうひとつ、力強いお言葉がございます。 「試験の選択肢には、正解がある。」 これほど、選択肢をみるにあたり、心強い事実はありません。 夫婦生活や家庭生活、会社人生活と比較してくださいませ。再度、いいましょう。試験の選択肢には、正解があるんです。 正解があるのですから、正解をこなせばこなすほど自信は身に付くのでございます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ・天賦の才能は要りません 事実を申しあげます。 ほとんどの受験生は、毎日のお勉強時間であれ、本試験の時間であれ、ともに曖昧さがふんだんにブレンドされた時間を過ごしているものでございます。 そうとうにグレー色の強い状況で勉強・解答という行為を行っているのでございます。 よっぽど簡単な問題でない限り、全ての受験生は、一問一問に逡巡し、悩み、アタマを抱えて解答しているものでございます。 わたくしは、これまでにいくつかの試験を受けてきた結果、ある教訓を得たのでございます。 それは、試験に天才ナシ、ということでございます。 もともと、わたくしは学校教育ではオチこぼれの部類であったのですが、スラスラと問題を解く人を見て、「あー天才やのぅ」と思ったものでございます。 当事のわたくしからみると、アタマのいい人がすらすらと問題を解いていく様は、魔法のように見えたものでございます。 しかし、だんだんと、「天才」という言葉の意味がわかるにつれて、『天才』というものは、極めて限定されたカテゴリにて冠される言葉であることに気付いたのでございます。 天才と形容されるべきは、スポーツや音楽、言語感覚、哲学、数学(特に幾何学)、芸術くらいでございまして、勉強の天才や経営の天才などは、「本当はいない」のが真実ではないかと思い至ったのでございます。 結局、受験生は、試験制度という状況に拘束された生き物です。 試験は、ある程度共通するテキスト、問題集・過去問をもとにして実施されるのですから、創造性の天賦の才能なぞ、はなから必要とされていないのでございます。 要するに試験とは、知ってんの?と聞いているだけなのですから、問われるものを知ればよいだけの話に帰結してしまうのでございます。 わたくしも誤解していたことなのでございますが、試験においては、天才やアタマのいい人といえども、「完全な判断」をもって問題を解いているわけではないということです。 直感やらなんやらで、問題を解いているわけではないのです。ぱぱぱーーと問題を解いているのは、莫大な反復練習があってこそできるのです。 天才といえども、いきなり宅建の過去問を与えられ、建築確認の細かい数字の問題を解けといわれても、できないことは明白でございましょう。 怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず、と晩年のニート暦が長かった大先生もおっしゃっております。細かな努力を積みげれば、誰でも問題が解ける、試験とはそういうものでございます。 受験生のなかの数%は、超越的な能力があって、一読百篇・聖徳太子なみの方も事実としておられます。 しかし、それは特殊かつ例外であって、通常のお勉強の光景というのは、わたくしを含めて、コレを読んでいるあなたと同じく、テキストや問題集の前でアタマをひねっているものなのでございます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 天才という能力は、試験には必要とされていないし、たとえ天の才能があっても十分にその力を発揮できないのが、試験を前提にしたお勉強というモノです。 天の才能でさえ必要とされていないのですから、お勉強に秘策や秘伝というものはない、と考えるものでございます。 あるとしたら、試験委員を買収することくらいでしょう。 しかし、定年までの給料手当て賞与と再就職先のメンドウをみるコストを考えれば、ぶっちゃけ、そのコストに引き合う資格なんて、まずないな、と思うわたくしでございます。 読めば合格するひみつのテキストや問題集 カトリックでいう免罪符や、禅でいう虎の巻というのは、歴史的に否定されているものでございます。結局、「ひみつのなんたら」は存在そのものがなく、それ故に欲望が一層かきたてられるのでございましょう。 (教材に逃げがちの、若き日のわたくしに諭したいことでございます。) 試験では、完全な解き方やノウハウがあるわけでもなく、また、天才や、アタマのいい人が「完全な判断」をもって問題を解いているわけでもありません。 単に問題がすらすら解ける人というのは、問題を上手にさばいてきた人だけなのでございます。 こういう問いのときには、どう対処したらいいのか?の経験・体験の集合体が「さばく」ということでございます。 さばくというのは誰にでも、訓練さえすれば上達する技術で、このさばき方の練習が、問題演習なのであります。 ま、個人的には、天才に思いを馳せるよりかは、秘伝のなんたらを求めるよりかは、テキストに目を通し、問題を解いていき、問題のさばき方に慣れたほうが合格は早いなぁと思う次第なのでございます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ・知識問題はなくならない 選択肢のうち、最も光速に潰せるのが、知識問題でございます。 昨今は、知識を詰め込めば解ける問題は少なくなってきました。とはいえ、知識問題がなくなるかというと、そうは問屋が卸さないのでございます。 「考える問題が主流である」からといって、記憶行為や暗記が要求されないかというとそうでもないのでございます。 考えるにあたっては、ある程度の素養となる知識が必要なのはいわずもがな、それ以上の理由から、資格試験では知識問題の席はなくならないのでございます。 その理由を以下の2点から考えてみたく思います。 −−−−−−−−−−−−−−−− ・資格試験の本質から 資格試験というのは、資格の要求する知識や経験の有無を判断するのが、タテマエでございます。 「考えさせる問題」といいますが、資格が具現化した実際の実務や仕事現場では、いつもいつも考えるばかりではございません。「考えるよりも、動け!」といわれるのがオチでございます。 どんな資格試験でも、実際の現場というのは、創造力が要求されるというよりかは、既存のルールや規定に従って、しゅくしゅくと作業を続けるものでございましょう。 −−−−−−−−−−−−−−−− ・試験技術の点から 試験技術的にも、知識問題はラクなのでございます。 問題のテーマが「コレコレを知っているか否かを知りたい。」と決められたとします。難しいのは、そこからの作業です。 スグに正解とばれるような選択肢はだせません。組織のプライドがかかっています。 ですから、間違えやすい似たり寄ったりの規定やルール、決まりを持ち出してきて、細かい部分で競わせなければならないのでございます。この作業はたいへん手間のかかる作業でございましょう。 5つの選択肢のうち、ひとつは「正解」の選択肢とするから、残りは4つです。 先ほど申しましたように、微妙かつ曖昧の選択肢を生み出すのは難しい上に、何十回と試験が実施された試験では、ネタが尽き果てていることが多いものでございます。 1個か2個の選択肢はアタマをひねって作り出せようとも、全部が全部の選択肢をひねりが効いてパンチのあるものに仕立て上げるのは、至難の技、匠の技、職人の技に類されるのでございます。 よくできた問題というのは、中島敦の小説になるほどの名人芸に属するものなのでございます。 たくさんの予算があれば凝った問題も出せましょうが、昨今の行政改革でそうもいかなくなることはひっきょう。 ですから、問題作成の省エネに適した「これ知ってる?知らない?あーそれじゃーだめっす」という知識問題は、選択肢の残りを埋める意味で重宝する問題のタイプなのでございます。 問題の作成側にとっては、愛されているのが知識問題。わたくしたちにとっても、知識問題は彼らに負けないほど、いとおしいものでございます。 なぜなら、知りさえすれば、アタマに入れさえすれば、得点の可能性はぐっと高くなるからでございます。 |
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