ココロは干からびる前に錆びます

『身からでた錆』という言葉があります。

この言葉が、現代になっても使われ続けるのは、「錆」という言葉を採用した点にあります。

「錆」という言葉が、たいへんじょうずに、事柄の本質を言い当てています。

昔から、人間のカラダとココロは、たやすく錆び付くことが知られていたのですね。

わたしたちの日々の生活の動きが鈍くなったとき、それは普通の機械と同様に、錆が発生しているというわけですネ。

当たり前ですが、機械に錆が浮くと動きは悪くなります。錆ついた自転車のチェーンを思い起こせば、至極納得できます。

ベンキョを始めとして、なんだか生活の動きが鈍くなってきたナァと思うようになりましたら、ぜひ、「錆び付いたわたくし」というテーマでご自身を振り返ってくださいませ。

今回のコラムは、錆が浮いてギクシャクしながらのベンキョよりかは、一度、大修理をして再開するのもありですよ、という至極、のんびりしたコラムをお届けします。

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わたしたちの生活でいう錆びとは、やはり悩みのことであろうと推測します。

当然のことながら、ベンキョとは未知との戦いであり、不知との死闘ですから、不安の塊といえましょう。

ベンキョは、克服がおもしろいのであって、ときに負けてしまうのも、ベンキョという行動に内包されたものです。

ですから、「試験に自信がもてない。」という錆が浮くのは、ごく自然。梅雨のカビのような自然現象です。

そのほか、ベンキョはなんといっても記憶が重要なので、「忘れるスピードが速すぎる。」という錆が浮いてきましょう。

光速忘却とでもいいましょうか、年齢を経るたびに、若さ溢れる物理的な何でも記憶力が薄れていくので、牛の如く、何度も反芻してもしゃもしゃ記憶作業を続けねばならなくなります。

錆は、よく使われている部品には錆は浮きません。たとえ浮いても、スグに発見されて除去されるものでございます。

錆というのは、あまり使われていない箇所・部品に浮くものでして、カラダの錆も同様に使われていない部分に浮くものです。

ベンキョとは、同じ繰り返しの作業が多く、しかも使うアタマの場所も同じです。

使うアタマの場所も同じ、ベンキョをするときのカラダの姿勢もほぼ同じ。ほっといてもほかの場所に、スグに錆が浮く状態だと申せましょう。

ベンキョだけをとっても、いかほどでも、身も心にも錆が浮く状態であります。

しかも、わたくしたちは、ベンキョだけでなく、生活のこまごまとしたものに囲まれて生きているものでございます。

仕事上、家庭上、経済上の問題...etc...嫁の顔...このような、多種多様の状況に浸りながら、わたしたちは生きているわけです。

これらのことは、「悩み」というレベルのものではありません。

「悩み」というおおげさなものではなくて、もっと軽くて湿り気程度のものです。

錆が発生する事態を、よくよく考えてみましょう。

金属を湿っぽい場所に置いておけば、ごく自然に錆が発生します。

まず、金属を水の中に入れることはしないでしょう。

自転車を風呂の湯船にしまう人は、今までお目にかかったことがございません。

つまり、完全な悩み状態にある人は、どっぷり水の中にある状態で、錆云々など問題ではないのです。

錆が浮くというのは、それだけ状況は軽いというわけでございます。

錆というのは、ほおって置けば、自然に付着してしまうものなのですから、動きが鈍くなってきたら、まあこんなもんやなぁと軽めの現状認識をすればよいのです。

錆びは、必ず発生するのですから、いちいち、大げさに対処するものではありません。

やる気が出ないなぁとか、張りが出ないナァ、という気分は、まさに錆が浮き出した状態だといえましょう。

普通の現象なのですから、それが良い悪いではなくて、「そういうもんだ」と軽く考えることなのです

錆びは自然発生するので、発生自体を防ぐことは難しいのです。ですから、まず、この自然現象たる錆に逆らわない事が肝要です。

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錆が浮き出しているのに、無理やりにごり押ししていけば、ココロが完全に錆びきります。

よく使う物には、錆びは発生しないのです。

あまり使わない物に、錆びは発生するのです。

ベンキョへの意思は、よく使われるので錆は出ません。

向学心は衰えないものです。

しかし、錆はほかの箇所に、確実に付着しているものです。

ほおっておくと、ほかの場所には、錆がびっしり浮き出てくるハメに陥り、行動を変えたり、意識を変えたり、方向転換・気分転換するのが、だんだん鈍くなってくるのでございます。

自然発生した錆は、気にもされないままに放置され、ますます錆が発生して、いつかポッキリといく原因になります。

何かあったときに、コレまで続けていたお勉強を、ぱったりやめてしまう人がいます。

ピタッとやらなくなってしまうのは、見えない箇所のココロの錆が原因なのです。

錆びきってしまい、ほかの部品とうまく噛み合わなくなり、動けなくなってしまったのです。

なんだかんだ、やめてしまった原因はあるのです。

そして、本人には「その原因」が見えていないのでございます。

ですから、余計にタチが悪いといえましょう。

他人から見れば、あーそんな生活してたらそうなるわな、という過ごし方をしているものなのでございます。

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人間の意志とは、単独で存在しているものではありません。

やる気とか、向学心とか、ベンキョ意欲というものが、独立してあるわけではないのです。

人間の1つの意志とは、それ単独で構成されているものではなく、いろいろな感情や理屈、言葉、計画、希望、期待などなどで成り立っているものでございます。

先ほど申しましたように、向学心が衰えませんが、支える達成意欲や作業への忍耐力は、ほっておいても錆が浮き出しています。

見えない箇所で消耗している部分だからです。

ベンキョを長期間続けるには、そのあたりのメンテナンスも必要になってくるのです。

ベンキョをし続けられる人には、なんらかの工夫がございます。

むやみやたらにベンキョをする人は、アタマのよろしくない人です。

アタマの良い人は、ベンキョでもなんらかの快感を生み出すような仕掛けや工夫を置いたり、達成感を生み出せるように、お勉強をじょうずに「翻訳」しているものでございます。

アタマの良い人というのは、ぶっちゃけた話、勉強だけをしておればよかった学生の「アタマの良さ」ではなく、生活の中でベンキョの意義を見出し続け、キチンと気分転換をしている人でございます。

アタマがいいというよりかは、生活じょうずなのがベンキョを続けられる人なのです。

ポイントは、「翻訳」でございます。

「1」でも、100を掛ければ、「100」になります。

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