たいしたことなんてしてないなあ

 「1000時間」も勉強したら、「たいしたもの」と考えるのが、普通ではある。が、他の時間と比べてみると、あれれとなる。たとえば、闘病やリハビリの1000時間である。闘病やリハビリは1000時間したからといって必ずしも終わらない。試験は1000時間も勉強すれば大半は受かって終わりとなる。また、合格者は毎年量産されているけれども、闘病やリハビリに携わるすべての人がうまくいくとは限らない。勉強の1000時間って、いうほどの苦難じゃないな、と思う。

 今度は、研究・開発と比べてみる。こうしたところでは、5年10年の時間をかけても、少しも物にならないケースはいくらでもある。運良く実用化されても、商品化されるものは少ないし、その商品が売れ筋になる可能性は、もっと少ない。5年10年にわたる研究・開発がそうであるなら、1000時間で何が生まれるといえるだろう。たいしたものを生む時間ではないな、と思う。

 創作活動や調査・分析といった活動と比べてみる。構想10年の大作映画がこけるなんてざらだし、数年ぶりのアルバムが少しも売れないこともよくある。膨大な資料やデータに何年も首っ丈した結果、統計的な有意は見当たりませんでした、新事実は見つかりませんでした、なんてこともよくある。勉強の1000時間って、ちっともたいしたものではないな、と思う。

 金銭に置き換えてみる。1000時間は、時給750円なら75万、時給1000円なら100万という金額になる。しかし、75万円・100万円的なものは、そこらへんにごろごろしていて、道路にいくらでも走っている。勉強の「1000時間」は、中古軽トラ程度の金銭価額的価値と引き合ってしまうのである。1000時間って、ありふれたものだなあ、と思う。

 1000時間の勉強をした、と考えると、「たいしたことをしたな」と思い込みがちだが、よくよく考えてみれば、「たいしたことなんてしてないなあ」と思わざるを得ない。実は、この「よくよく考えてみれば」というところが味噌で、つまりは、わたしたちは、得てして自分のやったことを、特に苦労や苦痛が伴ったものには、「たいしたもの」と考えがちになるのである。「よくよく」考え直さないとわからないというのは、「たいした」を疑問の余地なくその通りだと暗に思っているわけである。自分のやったことを「たいしたことでないなあ」と認めるには、幾ばくかの勇気が要るのも、無意識にそう思っている証左であろう。

 さてでは、どうしてわたしたちは、「たいしたことをしている」と思いたがるのか。「たいしたことをしている」と思うのは、自分のやっていることに意味と価値とを与えようとしているわけだが、どうしてそんなことをするのかというと、結果や利益・便益がほしいからである。つまり、「自分は重要で価値のあることをやっている」から、「わたしには、それらを手に入れる理由(正当性)がある」と思いたいのである。だから、自分のやっていることを、「たいしたこと」にしたいし、しなくてはならなくなる。当の本人は、手に入れるための『因果』を踏まえているつもりなのである。

 ところで、なぜ、結果や利益・便益がほしいのかというと、当たり前だが、プラスになるからである。しかし、「ある」と「プラス」になるものは、「ない」と「マイナス」になってしまう。ここで新たな問題が生じる。その人は、もとより「ない」からやっているわけで、「ある」ならやらない。「たいしたこと」をして「プラス」を得ようとする場合、その「プラス」を得るまで、現状認識は常に「マイナス」に彩られることになる。やることのいちいちは、「ない・マイナス」が前提となってくるから、どうしても損した気分や徒労感に苛まれやすくなってしまう。そら、余裕もなくなろう。

 心はいつも「ない・マイナス」の損失感を埋めなくてはいけないから、自然疲れやすくなるし、思い考えることは貧困になりやすく、先鋭化しやすい。そうこうして、問題の解決からはますます遠ざかっていく。そして、ブウたれる。要するに、つまらない人間ができあがる。貧すれば鈍す、とはよくいったもので、個人的な経験を言えば、そういうところに心が傾いているから、うまくいかないんじゃない、と思う。

 だから、わたしたちは、「たいしたことなんてしてないなあ」と思い、そう考えるだけ余地・余力を、常に取っておくべきなのである。精神のサーモスタットとして「たいしたことなんてしてないなあ」を備え付け、頭の片隅にある警告ランプの表示板として採用すべきなのである。情報過多の時代には、こう考えて、用心しておいて損はない。昔はこれを謙譲の徳といったが、現代では忘れ去られている。しかし、古いからといっても人の生に必要なものは必要であって、ほこりに埋もれたものの中から、意外な解決策がひょっこりと顔を出すのである。

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