「資格はゴールか?」

2004年の10月18日の日経新聞に「サラリーマン-読者から」という興味深い記事があったので、わたしも一言。

「資格で目標達成/取得、ゴールではない」と中表題があるのですが、わたしの経験からいえば、資格取得は「全くゴール」ではないです。

持ってる人はわかると思いますが、「終わらない」んですよ、資格は。

資格の勉強は、ほとんど暗記であります。憶えたモン勝ちですし、ぶっちゃけ、試験日まで頭に残ってれば良い代物です。この受験という行為は、ノートパソコンと六法と判例や規則集のCD−ROMの持ち込みが可能であれば、形をなさない脆いものです。

今の価格なら中古のパソコン代10万円で殆どの資格が取れるでしょう。

インターネット可能なら・・・w

それだけのことなんです。

もうひとつ、試験というのはひとりですよね?でも、社会でひとりでできる事は限られていますよ。あの試験というものを、3人で役割を決めてやってみたらどうでしょう?負担は1/3だからすぐに受かりそうですよね。世の中の殆どは全て組織、人間の集団で動いてますよね。

資格勉強・合格の効果はその程度です。ノートパソコンあればカタがつく、3人よれば文殊の知恵ですわ。

(受験生の皆さん、水をさして申し訳ございません。)

資格というものは目標以上に、
何がついてくるか、それが重要なのです。資格を取得すると、資格が持っている周辺知識が、恐ろしいほど溜まっていくのです。それがわたしの資格の最大の効果だと思います。営業の人で簿記があれば、経理から財務まで仮想演習できます。総務の人で、社労士があれば助成金etc・・・。

資格は仮想演習の場をアタマの中に作り上げるのです。
(わたしはだいたい、受験科目で受けるかどうか決めます。)

資格取得後、資格の存在を、即忘れる人はいないでしょう。資格は、のちのち生きてくるもので、徐々に徐々に知識が溜まっていくのです。磁石をもって歩くと砂鉄が付く如く。

宅建があればビルを見たりマンションの価格、競売価格、業者価格から基礎工事のポイントなど、いたるところで人の経験を仮想獲得しうる土壌ができるのです。

このビルは1億だよといわれ、「ふーん」で終わるか「なんで1億?安いのぅ(高いのぅ)」「何でそんな値段になるの?」等、と思うかです。
資格の勉強が単調である反動か、もっと高度で不明確で難しい問題に興味が湧かざるを得ないと思われます。

専門家といわれる人が専門家とは思えない単純な事件や事故を起こすのは、あまりにも複雑で難しい事をしてるのかもしれませんね。厚生官僚とか原発とか。

広く浅く・・・それが大怪我しないためのコツ。自分の仕事領域を増やすためにも、幾つかの資格で「自分の領域」を広げてみませんか?

資格は、そのためのコストと時間です。「領域」を広げるための訓練なのです。新しい世界の語彙を頭に叩き込む訓練だと思ってください。

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適当な人の適当な人への適当な読み物、其れが資格コラム。
コーヒーブレイクにどんぞ。

To another dokugaku.