姿勢をよくしましょう 「東大生とは何か?」 この定義を、皆さんはどう考えるでしょうか? 東大生と聞けば、だれもが頭がいいとか、そういうものを連想しがちです。 これまで、わたしもそのように考えていました。 しかし、先日、東大生のおもしろい解釈に出会いました。 「東大生とは、日本の学生の中で、一番長く息を止めることができる人たちである」というのです。 どういうことかというと、水を張った洗面器に顔を浸けて、どれだけ息を長く止めておけるか、という余興が合ったそうです。 そのなかで、どうどうのトップは東大生。 尋常ならぬ体力を持つ日体大が優勝ではなく、ふつうの体力であろう東大生が、一番長く顔を水に浸けていられるいうのが、おもしろく思いました。 息を止めるのに、体力・肺活量は絶対に必要な条件ではないわけです。 そう、東大生になるには、アタマや才能も必要ですが、最低限度、息を長く止めるという、物理的な根気が必要なのだなぁと思ったわけです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 独学というのも、コレとよく似ています。 独学というのは、「どうやるか?」「どの講義を受けるか?」「どのようにすすめるか?」「どんなテキストを使うか?」というこまごました知識が「絶対に必要なの」ではありません。 まず、資格試験というのは、基本的に才能を必要としません。 少なくとも、芸術や美術の分野に較べれば、資格試験というのは、才能要求度は比較にならないほど低いです。 資格試験というのは、普通の人でもスムーズに知識が取得できるように設計されたものをいうのです。 だいたいの試験は、やりさえすればできるのです。 「誰でもできる」というのが資格試験の根底にあります。 (いちおう、司法試験も基本的には受験資格はないですし^^;) 資格試験に受かるコツは、続けることです。 この単純で耳にタコが出来る教訓に勝るコツは今のところありません。 ですから、資格試験をしていく人は、まずさしあたって続けることをメインの目標にすればいいのです。 独学でベンキョをするのも同じです。続けていくことが大切です。 急な仕事が入ったり、電話があったり、こどもが熱を出したり、入金がなかったり、納品がなかったり、タイヤがパンクしたり、浮気が発覚したり、お米がなくなったりと、なかなかわたしたちは、ベンキョを続けることができないものです。 とくに独学では、管理者が居ないわけですから、踏みとどまる力のあるなしが、ベンキョの維持、ひいては合格への大きな要素となるのです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 独学というベンキョ方法に必要なのは、「長く浮いておける能力」です。 とにかく、浮いておくことが、大切になってくるのです。 先に進めなくてもいいのです。 それは、どういうことでしょうか? こどもの水泳教室の話を聞けば、よくわかるかとおもいます。 こどもというのは、泳げる子と泳げない子がいます。 泳げる子というのは、プールに入れられてもスイスイと「前に」泳いでいけるのです。 コレに対して、泳げない子はプールに入れられて手を離されると、「その場で」おぼれてしまいます。 泳げない子というのは、人間が浮くのを知らない子が多いのです。 「浮く方法」があると信じているのです。 ほんとうのことをいうと、浮く方法というのは存在せず、人間は基本的に浮くという事実をしらないのです。 泳げない子は、ただ、その場でもがくだけで、「手を離された場所」から少しも動けていません。 息を吸い込んで力を抜けば、人間は浮くのですから、もがくだけ損です。 泳げない子は、まずは、「浮くこと」から始めなければなりません。もがくことはエネルギーとやる気の浪費です。 スイミング教室に通ったことのある人なら、だるま浮きやくらげ浮きという浮き方を教えてもらった人が多いかと思います。 人間は、息を吸い込んで、力を抜けば大体浮くことができるのです。 ダラーんとカラダから力を抜いて、大きく息を吸って肺に貯めておき、後は姿勢をよくしておきさえすれば、浮くモンです。 しかし、浮いておくだけでは少しづつですが、沈んでいきます。 ですから、足や手を動かして、前へ進むのです。泳ぐということは、前に進むことで、自然に沈むのを阻止しているのです。 泳ぎが上手になるコツは、まずは浮くことを憶えること、そして、姿勢をよくして、前へ進みやすくすることです。 姿勢が悪いとブサイクな泳ぎしかできず、効果的に水を掻けません。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 独学にも、姿勢があります。おおすじでは、先ほどの水泳の浮き方とよく似ています。 自分の気持ちをスムーズに通してあげるのです。 「前向きにがんばる!!」というのも、大切な勉強の姿勢です。自分の向上心を上手に発散していますが、それだけが「姿勢」ではないのです。 やる気マンマン、ばかりがベンキョへの姿勢ではありません。 必ず、わからないことやおぼえられないことが出現するからです。そういうときは、やる気マンマンえねるぎーが空回りしてしまいます。 もがいているのと一緒です。こういうときに、途中で止まるという、「浮く」という姿勢が、大切になってくるのです。 わたしたちの世界は、才能や経験が要求される社会に生きています。シビアに才能や経験が吟味されます。 しかし、皆が皆、才能や経験を持っているわけではありません。才能や経験は、究極的には「ある」か「ない」かでしか語られません。 ないものは、ないのです。才能や経験も、なければ、ない、のですから、個人ではどうしようも用意できないのです。 個人が用意できることは、姿勢をよくしておくことだけです。 姿勢がよければ、先ほどの泳ぎの例のように、気持ちを上手に燃焼して、うまく水を掻いていけるのです。 わたしたちは、姿勢で才能や経験に打ち勝っていけるのです。 簡単に独学の姿勢をいえば、「浮く」ことをわすれない、です。 ・「浮いておく」の大切さを知っていると、燃え尽きないようになります。 ガンバリ屋さんというのは燃え尽き屋さんともいいます。やりすぎて、そのやる気を本試験まで維持できず、途中でイヤンになってしまう人です。 さきほどの、こども泳ぎ教室の例からいうと、25mプールの途中まで息継ぎも何もせずがむしゃらに泳ぐこども、といえましょう。 途中で疲れたり、なんか進んでないなぁと思ったら、「浮けば」いいのです。 「浮く」という、第3のやり方を知っておくと、途中でやめなくなります。 ・「浮いておく」の大切さを知っていると、再開ができます。 ものぐささんといわれる人がいます。 別名、めんどくさがりやさんで、あーめんどくせ、といってコレまでやってきたことを、いとも簡単に放棄できてしまう、悟った人でもあります。 ものぐささんは、先へ進むのがメンドクサイのです。メンドクサイならそこで立ち止まって休めばいいのです。 「浮く」というのは、ひとつも先へ進んでいません。その場に止まっているだけです。大切なのは、先へ進むだけがベンキョなのではないということ。 「浮く」という足踏み状態でも、ベンキョの習慣は維持できます。元気が回復したときに、浮いたところから続けていけるのです。 何かの拍子で、ベンキョ時間が5分しかなくても、「あ、今日は浮く時間ですな」と思い、5分でもベンキョに当てることで、次のベンキョを気持ちよく進めることができるのです。
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適当な人の適当な人への適当な読み物、其れが資格コラム。 コーヒーブレイクにどんぞ。 To another dokugaku.
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