スーパーサイズミー

友人の紹介で、「スーパーサイズミー { SUPER SIZE ME } 」という映画を見ました。

この映画、ファーストフードを1ヶ月食べ続けたらどうなるのかを、モーガン・スパーロック監督自ら実践するドキュメンタリー風のルポ映画です。

詳しくはGOOGLE などで、検索してみてください。

この映画を見て、一番強く思ったのは、あーこんな環境であればみんな、ファーストフードを食べるだろうねぇ、ということでした。

なお、「スーパーサイズミー」の公式サイトはこちらです。

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この映画で一番印象的だったのは、ニューヨークの地図の上に旗を刺していくシーンです。

もちろん、刺される旗にはあの大手ファーストフードのシンボルマークである「M」が書かれています。

その「M」旗が刺さるのが多いこと多いこと。

さて、ファーストフードをいえば「M」だけではありません。アメリカには「ケンタッキー」「ウェンディ」から、「バーガーキング」や「タコベル」などなどのファーストフード店が、そこかしこに出店されています。

これら、ファーストフードのお店のある地点にも旗を指していきます。

当コラムはコトバで描写しているのでインパクトはありませんが、どこにでもある、というのが正味な話ですね。歩けば、ファーストフードに遭遇する、そんな環境なのです。

たくさんファーストフードのお店があれば、当然の如く、入りやすくもなる。即ちそれは食べることにあたります。

食べる、といってもアメリカでは、びっくりするほど巨大なサイズが用意されており、朝から何も食べていなかったり、ムシャクシャしてたりしたら、ついつい大きめのサイズを食べてしまいそうです。

おなかが減っているときに、スーパーの惣菜コーナーを探索する危険と同じですね^^;

ちなみに、スーパーサイズのコーラはペットボトル1本、ポテトもペットボトルなみの大きさでした。要バケツなみの多さです。

このように、ファーストフードのお店に遭遇する可能性が高く、その上、1回での食べる量が多くなりやすいのですから、アメリカの人が太るのは「自然現象」と思いました。

くわえて、環境というのは、知らないうちにとても大きな影響力を与えているということを身につまされました。

環境というのは、知らず知らず、大きな影響力を持っており、それを少しは自覚してみよう、というのが今回のコラムの趣旨です。

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当サイトは資格試験のサイトなので、ベンキョと環境を見て行きましょう。

e−ランニングというベンキョ手法があります。パソコンやネットを利用した学習のことです。

私は「e−ランニング」という形式のベンキョをしたことがないので、その効果はよくわかりません。

ただ、一言いえるのは、「私にはムリだ」ということです。

というのも、私のパソコンは常にネットに接続されているし、外付けHDDにUSB接続されています。アクセサリには、魅惑のゲームたちが私を待っています。

デスクトップのアイコンには、ネットのマージャンゲームのショートカットがあります。ブラウザのお気に入りには、ネットゲームへのブックマークが輝いています。

ワンクリック→動画、音楽、ゲーム、ネット。

どんなにe−ランニングで提供される教材がすばらしくても、「私にはムリ」です。パソコンがこういう複合的な「魅惑のハコ」になったのは、10年くらい前なので、e−ランニングに慣れるのにも10年くらいかかると思います。

わたしはパソコンでひとつの作業をするということはできないでしょう。できるようになるには、大量の時間と忍耐がかかりそうです。

ちなみに、わたしが試験勉強に入ったときは、パソコン前にメモ帳を置いて「使用する目的」「予定使用時間 〇:〇〇 〜 ×:××」「消耗時間」を記入します。

そうでないと、ベンキョ時間が減るからです。

まず、パソコンへ投入される時間を制限することから始めます。それぐらい、私にとってパソコンというのは魅惑のハコであり、いってみれば、ベンキョの最大のお邪魔虫というわけなんです。

なお、今、このコラムを書いているときには、「RealPlayer」でラジオを聴きながら、ちょくちょく「ソリティア」「スパイダソリティア」を開きながらの作業です。ブラウザには・・・。

ね、わたしにはe−ランニングはムリでしょwww

パソコンというものは、わたしのベンキョにおいて、存在自体が邪魔なんです。パソコンがあるというのは、ベンキョの環境において非常に悪いと考えます。

パソコンは使いようによっては、役には立ちますが、時間の浪費の方が多い人にとっては、有害なんですよ。

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足元を固める、という言葉があります。

この「足元を固める」というコトバはとても便利なコトバで、事業から仕事、ベンキョ、恋愛、夫婦生活、育児までつかえてしまう、万能ネギのような格言だと思っています。

ベンキョにおける足元とは、テキストでの基礎的なことでり、過去問での頻出事項のことを指します。

イマイチ、「足元を固める」とか「基礎を固める」というコトバがしっくりしない人は以下のように考えてください。

私たちの足元を考えてください。

新しいタイヤに交換したときのスッキリ感。
新しい靴に変えたときのスッキリ感。
破れた靴下から新品にしたときのスッキリ感。

このようなスッキリ感を味わえたときに、基礎は固まったといえるのです。


ベンキョで基礎を固める、といっても、実際の作業は日々していることと同じで、そうそう「基礎固めの方法」というのがあるわけではないです。

ただ、テキストですでにベンキョした箇所を読み直したり、よくわかっていない箇所を書き出すなどの、基礎固めをしているときには、ある感触を得るのです。

それは、さきほど述べたような、身体的なスッキリ感です。

「あーそういうこと」「ああーーそうね」「このように考えるんだね」

などなどをアタマで感じたときに、基礎が充実したとおもってください。

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独学では、自分を管理するのは自分しか居ません。

そこが独学の楽しいところであり、難しいところです。

先ほど、わたしは受験期間に入ると、パソコンの使用を制限するといいましたが、始めたは、この2〜3年です。

自分の邪魔がパソコンだと気付いたからです。逆にいえば、それまで、パソコンというのが自分のベンキョを邪魔しているということに気付かなかったわけです。

独学の難しいところは、こういう点です。

自分の環境に慣れすぎて、どれが良くて、悪くて、必要で、無用かがわかりにくくなっているのです。

「足元を固める」というのは、ベンキョという狭義から離れて広い意味で考えると、自分の生活を見直すということ、ともいえます。

自分の生活を見直してみる。

「実は」浪費している時間はないだろうか?
「実は」重要でないことに、時間を費やしていないだろうか?

垂れ流されている時間というのは、それをやめたらスッキリする時間です。オイラのパソコンもそうでした。

やめてみることはできなくても、コントロールしてみる。

コントロールしてみたら、生活が改善してスッキリした。

スッキリ感があるときに、社会人なら社会人、主婦なら主婦、学生なら学生。。。それぞれの人の生活に適う時間が流れるようになっていきます。

「スーパーサイズミー」を見て思ったのは、本当にわたしたちは、無自覚・無思考で環境に慣れていっているということです。

もちろん、全ての環境を自分でコントロールしよう、というような傲慢な考えをしようという訳ではありません。

日常生活から、「ん。。。これがあるから、〇〇なんじゃないの?」という素朴な発見から、生活を調整していこう、ということなんです。

なーんか、うまくいかんなぁというのは、意外に生活の足元が固まっていないときが多いんですよ。

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適当な人の適当な人への適当な読み物、其れが資格コラム。
コーヒーブレイクにどんぞ。

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