脱力のススメ

脱力とは、力を抜いた状態です。ベンキョに力を抜くことは、トクです。

疲れがたまりません。スランプに強くなります。ベンキョを続けれます。

やる気マンマンでベンキョをするのもいいのですが、やる気を最大に出さないといけないのは自分のお仕事であります。

人間、ふたつのことをやる気マンマンでやっていくのはしんどいものであり、えてしてどっちもうまく行きません。二兎追うものは一兎も得ず、を地で行くわけです。

今回のコラムでは脱力のメリットを考えていこうと思います。スッキリした義務感を保ちつつ、日々やっていこうというわけです。

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力が抜くことの、いい点は情報が集まるということです。

力が抜けると情報が集まります。なぜかというと、まじめなサボリが脱力だからです。

脱力とは、「まじめサボリ」です。

テキスト・問題集を見るのはイヤ、だけど「やらんとなー」という気持ちのときは、なぜか資格に関係するニュースが集まります。目がそっちのほうに行くからです。

たとえば、通関士の勉強をしている人なら、ニュースの「韓国製DRAMに相殺関税を発動」なんて情報が入ってきます。

簿記を勉強中の人は、ホリエモンさんの粉飾決算等のライブドア事件のニュースは興味深く読んでいけるものです。

じつは、自分のベンキョが大きく飛躍するのは、テキストや問題集の繰り返し演習以上に、こういった日々の情報が原因だったりするのです。

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たとえば、オイラの例でいえば、社労士の各書類の提出期限でした。

これまではず〜〜と単に暗記するしかないやん、としか思わなかったのに、突然、「ん・・・この提出期限というのは、社労士の飯のタネやん」と気付いたわけですよ。

提出期限を憶えておけば少なくとも、営業の一本くらいは掛けれるし、いろんな書類の提出でネタもできるだろう、と。

そう気付いたときに、「あーだからこの提出期限は頻出事項なんやなぁ」と納得→ベンキョにハリが出てきたというわけです。

ま、とってつけたような例ですが^^;

それでも、資格に直接的には関係はないのだけど、じつは繋がっている情報というのは実にたくさんあるものです。

SOHO向けの「間違いのない事務所選び」なんて本は、士業の資格をベンキョしている人にはピンと来る情報ではないでしょうか?

こういう情報に当たっていると「お〜〜」と引っ掛かるものに遭遇し、ベンキョの理解が大いに進むものです。

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自分のベンキョしている資格に関連する情報やニュースに目がいっているでしょうか?

もし、テキストや問題集以外の情報、つまり試験情報以外の情報がないときは、黄色信号です。ベンキョ自体に力を入れすぎて、がちがちになっているからです。

やる気マンマンなのは、カラダとアタマがフル回転しているので、とてもいい状態ですが、やる気マンマンのために力が入りすぎてしまう人がいます。

力を入れすぎるとボールペンですら、インクが出なくなって文字を書けなくなります。いわんや、勉強をや、です。

情報が入らなくなっている状態、それが力が入りすぎている状態です。

※ ちなみにガン細胞は、他の正常細胞と情報を交換しないという特色があります。

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力の脱けた試験勉強のいいところは、バランスが良いということです。

お好み焼きで喩えたら、力の入った、偏ったベンキョというのはお好み焼きの片面しか焼いていないようなものです。

片面しか焼いていないお好み焼きなんて、中まで火が通っていないので、食べれんとです。。。

勉強というのも、バランスが必要になります。

先ほどのお好み焼きのように、一方だけを焼きまくっても食べれないお好み焼きができるだけです。それか、焼きあがるのに膨大な時間がかかるくらいが関の山でしょう。

わたしたちには、好調と不調の時間がある以上、ある一方に偏りすぎたベンキョというのも、大きな問題をはらんでいるのです。

気合の入った、力の入ったベンキョばかりしていると、スランプ脱出に時間がかかります。

一方で、バランスのいい勉強だと、スランプに強くなります。

というのも、資格試験のベンキョのほとんどは憶えることです。
憶えたものというのは、ある意味データです。

アタマに入ったデータはときに、データベースの更新がされるので、新規の記憶行為が振るわなくなるときがあります。

これもスランプの一種です。

アタマに全然入らなくなる瞬間が、かならず来るものなんです。このスランプの状態を、若い時分なら体力と気力で強引に乗り越えてしまうのですが、だんだん力技では突破できなくなるものです。

しかも、想像のつかない問題が生じて、ぷっつりベンキョが止まってしまうことも多々あります。

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こういうときに役に立つのが、自分に集まった資格関連情報です。

気休めになる以上に、先ほど述べたように、自分がまったく見落としていたことに気付くキッカケに繋がっていくのです。

先ほどのオイラの、社労士の書類の提出期限という、とってつけた例で説明すると、後々の記憶作業が圧倒的に楽になったことがあげられます。

本当に楽になりました。憶えることに意味がもてたからです。気付く前に較べて、半分以下の労力で憶えきった記憶があります。

力を抜いていると、掘り出し物のように、ラクに記憶できるキッカケや考えに遭遇するわけです。

だから発見の楽しみが多く生まれ、途中でやめたりしなくなるのです。

力が入りすぎていると、「あーそういうことね」が浮かびにくいのです。結局、時分の問題になっていること、理解ができていないことがわからない状態が続くわけです。

これもスランプです。

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結局のところ、資格のベンキョは長丁場になるものです。

究極的にいえば、試験勉強においては、自分の最高のやる気マンマンを発揮させなければならないのは、「本試験」であり毎日のベンキョ時間ではありません。

力を抜いていないと、いざというときにタメを作ることができません。

タメがないと爆発力は落ちます。

もう一度いいますが、本試験が一番大事なんですよ、ということです。

記憶なんて所詮は一度で憶えられるものではない。

だから、気長にノンキに、憶えていこうということですよ。

力を入れるのはいいことですが、その反面、「力を入れて結果が出ないと人はスグにイヤになってしまう」ということを憶えておきましょう。

長丁場のベンキョに必要なのは、スグに火がつくガスの炎でなく、練炭やや木炭のように、長々と燃える火が必要なんですよね。

やらなきゃ、やらなきゃと単に義務感に終われるベンキョというのは、力が入りすぎです。そういう状態が続くと、情報が不足しだします。人生的に大きく損をしているし、能率的ともいえません。

肩の力を抜いてやっていかないと、情報が入らず、記憶も理解もそんなに進みませんよということです。

これがスッキリと納得できる義務感です。

つい、力が入りすぎてしまう「煽られてせかされるような義務感」からは脱出しましょう、ということです。

「合格に足りないものは、リラックス」という人が多いものなんです。

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適当な人の適当な人への適当な読み物、其れが資格コラム。
コーヒーブレイクにどんぞ。

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