記憶する力としていく力

資格試験の勉強で、切っても切れないのは記憶についてです。

みんなが記憶問題で困っています。それなのに。。。

「何でも憶えてしまう」

という人がいます。

資格試験で四苦八苦しているわれわれには、垂涎の能力を持った人がいたのです。

今回のコラムは「記憶」についての雑文を書いていきます。ちょっとしたベンキョの工夫にドウゾ。

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・「Savan」な人

「Savan」と呼ばれる人達がいます。「Savan」な人とは音楽や数学に常人をかけ離れた能力を持っている人のことをいいます。

みなさん、たった一度しか楽譜を見ないで、たちどころに演奏をするサヴァンな人を、テレビで見て驚いた人が多いかと思います。

この「Savan」な人の中に、ものすごい記憶力を持った人がいます。

何でも、たちどころに憶えてしまう人です。

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以下はロシアのルリア教授という人の記憶力についての研究の紹介です。

「S」という人がいました。

このSさんは、なんでも憶えれたといわれています。

この人の仕事は記者でした。ある日、会議で全くメモを取っていないのを見た編集長が「お前、なんでメモしないねん!」と突っ込んだのです。

そうすると、憶えているからメモを取る必要はないんですよ、とのこと。

なにゆーとんねん、と編集長が食って掛かったところ、一言一句憶えていたから大騒ぎになったわけです。

このSさん、昔のことまで、たちどころに言うこともできました。

「〇年前の〇月〇日には何をしていたの?→家で〇〇をしてたね」とこんな感じでしょう。

この事件を機に、ルリア教授という学者に出会うことになり、記憶力の研究がすすめられた、というわけです。

おそらく、このSさんは完全な記憶力を持った人だと思います。

しかし、この話でおもしろいのは、Sさんは日常は普通の人であったということで、仕事振りも普通だった、ということです。

超人的な記憶力があるからといっても、仕事には反映されなかったというわけです。少なくとも、編集長は仕事で彼の超人記憶力を発見することができなかったわけですから。

このSさんの研究を綴った「記憶術師の心」)という本を探しています。アマゾンにもありませんでしたので、誰か御存知の方はメールください。

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・「物理記憶力」と「論理記憶力」

わたしはこの話を聞いて、記憶力にはふたつの側面があると考えました。

「物理記憶力」と「論理記憶力」という側面です。

さきほどのロシアのSさんのように、何でも憶えてしまう記憶力を「物理記憶力」だと考えるようになりました。

わたしたちが、「記憶力が落ちた」というのは、じつはこの物理記憶力ではないかというわけです。

わたしたちは一時的ですが、この物理記憶力を誰でも持っている時期があります。そう、若いときです。

コドモのころから20代くらいは、どんどんモノを憶えることができます。しかしその反面、判断するための材料・データが脳ミソにほとんど蓄えられていません。

若いときは記憶力がいい、というのはこうともいえます。若いときというのは、データ不足の期間であると。

だから、知識を吸収する必要性が厳然と存在しているわけです。ですからスラスラおぼえる記憶力が、自然とカラダに備わっているのだと。

いっぽう、中高年齢の大人の記憶力はどうでしょうか?成人して、年齢を経るうちに、人はいろんな経験を積んでいきます。

経験を積むうちに、多くの人が、だんだんと知識ではなく「経験」からモノの判断をしていきます。

要するに、新しい知識をそれほど必要としなくなるわけです。ですから、なんでも憶える記憶力は退場しても、それほど不都合はないわけですよ。

だって、生きていくための知識はすでにインプットされ、知識は経験によって応用化されているので、これ以上、精度を高くする必要もないからです。

老人が物忘れが多くなるのは、膨大なデータがアタマに入っているので、検索するのに時間がかかるからです。記憶するのに時間がかかるのは、記憶の整理が大変だからです。でふらぐをしないといけませんねw

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・「物理記憶力」は必ず減ります。だから「論理記憶力」。

タイトルで答えをいっているようですが、説明しますと、人は誰でも若いときは、社会や自分の環境を生き抜くためのデータをそろえるために記憶力が良い状態、すなわち「物理記憶力」がいい状態です。

しかし、わたしたちは年齢を経るにつれて、知識を蓄え、経験を積んでいきます。その結果、膨大な知識データを蓄える必要がなくなります。

ですから、「物理記憶力」は用済みというわけで、一度見たり聞いたり、数回見たり聞いたりしただけで憶える記憶力は減退していきます。

不合格の人に多い現象は、1度や2度、テキストや問題集をやっただけで、記憶できると考えているおっさんやおばさんです。

それは、最悪20代までにしか通用しない、「物理記憶力」に即した考え方・勉強方法です。

おっさんやおばさんは、年齢からいって「論理記憶力」を意識したベンキョをしていく方が理にかなっています。

経験がたくさんあるので、論理を操り記憶して行くことがどんどん上手になっていきます。

「論理記憶力」のポイントは、どんどん、既存の知識や経験と関連付けていけるかどうかです。

工夫をしているかどうかです。
どんどん、ひっかけることです。
推論し推測していく工夫が「論理記憶力」には要求されます。

たとえば、イメージ暗記というのも、記憶したい物を自分で作成したイメージや自分の持つ記憶と引っ掛けて憶える記憶法です。

たとえば、「代理人」という民法の規定をあげてみます。

イメージ暗記を使えば、わたしはこのように憶えていくと思います。

大ちゃんという友人を思い浮かべ、自分の代理人とする
代理人の用件は3つあったな→3匹の子豚を補助者に抱える

わら→要件1に当てる
木→要件2に当てる
レンガ→要件3に当てる

そんな感じで、記憶するものとイメージ、これまでの自分の経験を組み合わせて、憶えやすい姿かたちに変えてしまいます。

大ちゃんが3匹の子豚を連れているのが代理人。こんな風に馬鹿らしいなぁと思う暗記モノにしてしまいます。

最初は、この馬鹿らしい考え方が記憶の着想の第一歩となります。
わたしは、記憶の乳歯と呼んでます。

それで、過去問や問題集で演習を繰り返していくうちに、代理人−要件3つが本試験等でスラスラ書けるようになるのです。

永久歯になったわけですね。


自分から論理を作り上げていく、しかも馬鹿馬鹿しいほどの理屈を。

こういうイメージ暗記という憶え方も「論理記憶力」を踏まえたベンキョ方法だと思います。

「論理記憶力」とは、憶えようとするものをそのまま憶えるのでなく、工夫して自分が憶えやすいように加工して憶えていく力だと思います。

そっくりそのまま憶えこもうとしないで、少し間をおいて自分の憶え易いようにどんどん工夫してください。

そっちのほうが、最終的に記憶に残ります。

ホントをいうと、記憶するというのは、不真面目な方がうまく行くんですよ。

不真面目なのも工夫のひとつですよ。

だって、真面目にやって憶えられないなら、その問題をどうにかするのが工夫というものでしょ。

「真面目にしないと記憶することができない」、なんてだれも決めていないのですから。

だから、記憶力とは「いい」か「悪い」だけの側面で考えるのではなく、アタマを工夫振りを踏まえて考えるべきなんです

そうすっと、憶えが悪いんではなく、丸暗記をしようとしてたり、理解が不足したまま憶えようとしてたり、なぜ憶えないといけないかも考えないまま、暗記行為に突っ走っているのがわかるのではないでしょうか?

盗んだバイクで走り出してもいいのは10代までです。

特に「論理記憶力」が生きてくる中高年齢層にとっては、ワケもなく突っ走ってはいけませんw

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適当な人の適当な人への適当な読み物、其れが資格コラム。
コーヒーブレイクにどんぞ。

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