「専門学校が高いわけ」

参考書と過去問、問題集で勉強していく独学スタイルと、専門学校に通って勉強する通学スタイルのコストを考えれば、明らかに専門学校に通学する方がお金がかかります。

今回のコラムの主張は、それがきっちりコストに見合うものであるかどうかを考えましょう、ということです。

専門学校に通うのがなぜ高いのか、考えた事はありますか?講師の給料やら学校の家賃といったコストを負担するからですね。

資格試験の講師は、おそらく受験生以上に勉強していると思います。

(そうあるべきだと思っております。)

なぜなら、授業の予習・復習まもちろんのこと、その授業で行なう事についてどんな質問がきても、しっかり答えられるようにするのが、講師の仕事だからです。答えられないような事でも、なんらかのヒントをあたえるべく努力をしているはずです。

その他、スランプの時の対処法など、受講生のメンタルな部分にも力になるように、研究しているでしょう。

そのような講師の影ながらの努力が専門学校の高い合格率を担保にしてるのだと考えます。

さて、それはそれでいいのです。

さきほど「影」ながらの努力といいましたが、影と表現したのはオモテに出てくることが少ない、ことを暗喩しています。

その影ながらの努力がいい授業・講義に繋がってるのだ、といわれればそれまでなのですが、独学スタイルではばっさり切り捨てる所でも細かく追っていかねばならない構造にあるのが「専門学校」なのです。

先ほどの受講生のスランプ対応など、独学スタイルにとっては全く縁のない事です。また、個別指導ではない全体講義なのできめ細かく追えない、というのもあります。

独学スタイルでは、自分の弱い所だと思えば徹底的に潰せます。また、あーこれは後でもいいわ、と思う単元については適当に端折りもできます。

独学スタイルでは無視できる部分にも、専門学校の受講生は間接的にコストを支払っているのです。自分がそれに該当するかどうか関係なく。

教育というには胡散臭い部分があります。それは切って捨てる事はできない部分です。独学にしても往々に「足元」をみられた価格のテキスト・問題集に当たるときがあります。

専門学校の中には、適当に講師をかき集めて他の専門学校より『安い』受講料で授業を受けさせるといったのも聞きます。

通学は大金がかかります。大金を使うときは、それに見合うだけのものがあるかどうか、しっかり把握しましょう。専門学校に行きさえすれば合格する、というのは神話ですよ。

個人的に意見ですが、公認会計士や司法試験など、競争試験で落とすための試験の受験生にとっては専門学校は意義があるのです。なぜなら、これまで出題されたものを超える問題が出題されていくのですから、その傾向を予想したり研究するサービスが必要だからです。

この将来の試験問題を研究するのは、個人的レベルではロスが多すぎて無駄です。主観だけではどうにも難しいでしょう。だから、専門学校の力を借りないといけないのです。

其れに対し、過去問ベースの問題で事足りるような資格の場合、専門学校は、それほどの必要性がないと思うのですが。

能力的に、基本的な日本語の読み書きが出来れば、受かる試験が殆どの様な気がします。

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適当な人の適当な人への適当な読み物、其れが資格コラム。
コーヒーブレイクにどんぞ。

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