「取るに足らない」が足らない

専門学校でのお勉強が、独学より断然有利な点があります。この点ばかりは、独学は逆立ちしても適いません。それは「人」の情報が集まるということです。

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「人」が絡んだ情報というのは、とても吸収しやすいのです。行動に繋がりやすいのです。紙やディスプレイに現れた情報とは、比較になりません。

たとえば、ある問題を間違えても、独学なら受け止めようが自分だけしかありません。たとえ、何でも話せる御仁が近くにいて「第〇〇問、間違えちゃった」といったところで、相手はスイミングアイ。気を利かせて「がんばってね」と返すのが関の山でしょう。

間違ったことに関する不安は、ひとっつも解決していません。悶々としたものが心中にくすぶっております。

いっぽうで専門学校では間違えても、自分と比較する対象が多いので悶々の度合いはかなり軽減されます。

クラスでも評判のよくできるAさんがいたとします。「なんだ、Aさんでも間違うのか」という思いから生まれる余裕。これが、どれだけやる気の維持につながるか、長年独学で親しんで痛切に思います。

人が集まることから生じるだべりやおしゃべりも「人」情報です。

「願書を申し込んだよー」という談話を小耳に挟むだけで、願書の入手・提出が1週間は違ってくることでしょう。願書は、意外に億劫なもの。早く調べればいいと思いながらも、ぎりっちょぎりっちょになって申し込むもので、スグにはしないものなのです。

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先ほどの例での「人」情報とは、「Aさんも間違った」「願書を出した人もいる」という本当にどうでもよい取るに足らない情報です。

しかしお勉強を続けていく上では、このような「取るに足らない情報」がじつに役に立っているのです。

独学でどうにも困るのは、他の受験生がどう受け止めているかがわからないことです。たとえば、問題集で「C」ランクとされていても、「もしかしたら重要かも?!」という思いをぬぐい切ることができません。

独学は、孤独学ともいい、孤独の作業であります。

簡単にいいますと、独学に極度に不足しているモノは、皮膚感覚を伴った情報がない、ということです。模試を受けに行って、どんな受験生がいるのかわかる程度なんです。

「取るに足らないもの」は集めようと思っても集まるものではありません。たとえ、雑誌やパンフレットで紹介されようとしても、このような末節な事柄は編集で切られるのが関の山です。たとえ言語化されて読める状態になっていても、感触、ニュアンスの世界に及ぶため、どうにも意が通じにくいのです。

独学は、この取るに足らない情報がわずかであるからこそ、「続けることが難しくなる」ものなのです。お勉強の内容の難しさよりも、続けることの方が難しくなっていくのです。

無理やり続けていると、必ずパタリと勉強をしなくなる期間が生まれます。それは数ヶ月に及びます。取り返すのにコレまで以上の労力を払わねばならなくなるのでございます。

自分と勉強とは、異物どうしです。異なったものを引っ付けるためには、潤滑油が必要です。骨と骨を引っ付ける軟骨が必要です。この軟骨に当たるのが、取るに足らない皮膚情報なのです。

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補助線思考につづきます。

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