選択肢:後編

・選択肢上手

選択肢を上手に選択できる人とは、思考と記憶のバランスが取れている人を指していうのでございます。

そもそも、思考というものは、どの部分が重要でないかを知ることによって、初めて、その力を発揮するものでございます。

アタマのよい人は、ほんとうに事態のポイント・要(かなめ)に絞ったアタマの使い方をしているのでございます。

逆にいえば、無駄なことは考えていないのでございます。

アタマのよい人は、つくづく、重要でない部分にアタマを使っておりません。見習いたいものでございます。

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・消去法と知識問題

消去法というのは、誰にでも使える伝統的な受験技術です。先ほど申しましたように、知識を問う問題というのは、受験という性質上からなくなることがありません。

受験料が倍になり受験料収入が倍増でもしない限り、試験実施団体は、手が込んで受験生がウンウン唸るような良質な問題は作れないと考えるのが実際的でございます。

作成に手間がかからない知識問題は、問題の作成者側にとって心のオアシスなのでございます。

知識問題は、とどのつまり、知っていなければ解けない問題でございます。

簡単な知識問題は、「〇〇は××だ」「〇〇は×月以内に申し立てねばならない」など、単純な知識の有無を確認する問題形式でございます。

対して、難しい問題・難易度が高い問題とは、いくつかの知識を掛け合わせて解答させるようになるのでございます。

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A
というひとつの知識を問うだけの問題の難易度をアップするには、

AとB
ふたつの知識の有無を問いはじめます。

AとBとCとD
さらに難しくしようとすれば、知っているかどうかを試す選択肢を多くするだけですね。

先ほど申したように、いくつかの知識を掛け合わせて問うてきます。

AとBとC´とD±と“E”

Cをちょこちょこっと表現を変えていたり、Dを深化させていたり、Eを限定的に使っていたり、語句の意味をずらしたり、他の関連する項目と絡めたりして、複雑化していくことによって、問題の難易度を上げるのです。

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確実な知識というのは、単純な知識の有無を問う問題だけに効果があるのではなく、一見するとムズカシそうな問題にも資するのです。

知ってさえいれば判別可能な選択肢を、まず第一に潰すことで、ひねられた問題にアタマのエネルギーを集中できるのです。無駄にイタズラに考えなくてよいのでございます。

確実な知識があれば、「AとBとC´とD±と“E”」のうち、AとBを即座に消去でき、残りの「C´とD±と“E”」に時間を割けるのが、消去法の最大のメリットなのです。

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・お見合い基準

前々節で難しい選択のひとつに、お見合いを挙げました。

このお見合いというものを円滑にすすめるのは、明確な基準が必要といわれます。

基準というのは、自分が譲れないラインで、説明可能なものでございます。

年収1200万円以上を希望するのであれば、「わたくしは交際費に月80万かかりますので、年収1200万円ないと生活できません」と説明できねばならないのでございます。

適当に夢心地で語れるものではないのが、基準でございます。

選択行為で一番しんどいのは、逡巡することです。

それは、基準のレベルの周辺を行ったり来たりすること。

例えば、「食べ方が汚い人は、イヤだ」と思っていたとします。明確な基準にまで高まっておれば、お見合いの会食で即座に食い方の汚い相手をさばくことができます。

「かっこいいし、収入もいい。趣味も合いそう・・・でも食い方キタナイ」

こう逡巡しだすと、まず決まりませんし、アレコレ思い悩んで逡巡するばかりでございます。

基準ができていると腹が括れるのでございます。うだうだ考えなくてもよいのでございます。

お見合いに寝巻きできたら、パスでしょう。大酒飲み、ばくち打ち、夜遊び大好き人間もスルーでございます。ある程度の収入、そして支出の内訳もお見合いの重要な基準たりえるでしょう。

基準をができあがっていれば、無駄に心を煩わさせずに、これからの将来のことをじっくりと考え至らせることができるのでございます。

「大切なことを考える」これは単純ながら、真理でございます。

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・テキストや問題集をすること

テキストや問題集を何故するのかといいますと、はっきりいえば、明確な基準作りです。

選択肢は、どれもが同じ重要度ではないのでございます。ですから、等しくエネルギーと労力をかけなくてもよいのでございます。

知っておれば解ける問題、つまり、知らないと考えようもない問題は、知らなければうっちゃるのが一番よい「さばき方」なのでございます。

それを判断するための基準を作っているのが、日々のお勉強でございます。

選択肢が5択で、知識を問う選択肢があり、確実な知識を持っていることで1選択肢を潰すことができ、4択まで辿りついたとしましょう。

単純な可能性の計算をしますと、適当にハナクソをほじりながら解答しても正解する率が20%から、25%になります。

しかし、わたくしは、知識問題の選択肢をひとつ潰すことができれば、種々の試験の経験から、30〜40%くらいまで、正解率が上昇するのではないかと考えるのです。

選択肢を少しでも絞り込めれば、それだけほかの選択肢にエネルギーと時間をまわすことができるのでございます。

つまり、残った選択肢のあいまいな箇所をシッカリ思い出す時間を取れたり、問題文の細目までじっくり目を通せたり、ひっかけという危ない夜の罠をスルリと身をよじることができるのでございます。


全部を憶える必要はないのです。

必要なのは、基準です。

問題をさばく基準がシッカリ出来上あがってさえいれば、選択肢からひとつ選ぶタイプの試験は、うまくいくのでございます。

丸暗記やよく憶えているだけでは、試験というモンは残念ながらうまく行かないのでございます。

思考力というのは、発揮できる状態でこそ発揮できます。

試験のお勉強で、ポイント絞った学習というのは、「それを憶えて選択肢(問題)をさばくことができるのかしらん?」という点から、テキストや問題集の内容に接近することなのでございます。

一生懸命憶えてもあんまり点数が伸びない人。

アタマの中の知識がキチンと基準たりえているか、または、判断の軸となるべき演習をしてきたかを御自問くださいませ。

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・おまけ−肢力という考え

「選択肢の力」というと長ったらしいし、「選択肢力」といってもなんだかピンとこないし冗長だし・・というわけで「肢力」というものを考えてみました。

「肢」とは、漢字辞典をみますと、支えになっている箇所・点を意味し、具体的にいえば、わきやまた、ふしなどを総称していいます。

「肢力」というものを単的にいえば、「ココから先に、選択していくべき価値があるのか?」と自問できる力です。選択の方向性を見抜く力のことです。

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「肢力」というものを、ボンヤリと気づきだしたのは、インターネットが身近になってからのことです。

インターネットをやり始めて、変わったことがあります。なにか生活に、ずるずるぐだぐだが生まれ始めたのです。

「何でこんなことを決めるのに、これほど時間がかかったのだろう?」
「この程度の情報を集めるのに、なんでこんなに時間が?」


インターネットが浸透した社会では、莫大な、膨大な選択が待ち構えています。

これまでは3つくらいしか選択肢がなかったのに、いまでは、パソコンのスイッチいれると、100個・200個以上の選択肢が現出しているのです。

冠婚葬祭の疑問だって、以前は本を読むか(冠婚葬祭の手引書が1家に1冊必ずあった)おとんかおかんに聞くくらいでした。

いまや、冠婚葬祭で検索をかければ、数千以上の情報にヒットできる状況です。

「肢力」は、目の前の選択肢だけを考えるだけではなく、情報の枝葉末節を離れて「もと」をたどる力・「もと」に戻る力も含めた選択という行為をみます。

ただ、与えられた選択肢の中から選ぶだけでなく、選択肢以前に何が求められているのか?の両方向のベクトルから、現状の選択行為を考えてみましょうというわけです。

(どれにしょうかしらん?)という「選択」と同時に、(ちょっと待て、もっと早くて効果的な方法はないの?要するにコレコレができたらえーんやろ?)という、「もと」をたどりつつ考えていくわけです。

2重の文脈を、常に意識の片隅に置いておくのです。

情報が膨大にあると、くんずほぐれつ、何がなんやら分からなくなってボンヤリフラフラの混沌状態になりがちです。

そして、怖いことに、自分が情報の海で疲れ切っていることさえ自覚できないのが、インターネットの罠でございます。

肢力とは、いわば、情報過多でオーバーヒートになりがちの脳から、抜け出る機縁を見つけよう・いつも置いておこうという試みなのです。

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「選択」と同時に「もとをたどる」という思考は、実は、選択肢を創造するプロセスによく似ています。

「肢力」を実際に味わいたいなら、大きいことは人生で直面した問題、小さいことは森永の板チョコかロッテの小枝にするかまで、選択肢を紙に書き出すのでございます。

就職や転職、結婚や離婚等々で、きつい選択を迫られたなら、可能性や選択可能なことを列挙して、選択肢を作り上げてみてください。

ひとつひとつの選択肢の先に、膨大な選択があったときはいったんストップして、実現可能性や具体的行動像を列挙して、選択肢を作り上げてみてください。

選択肢の数は、難しい状況なら「5択」、ちょっぴりきつい状況なら「4択」、簡単な選択なら、「2択」の選択肢の問題と考えて調整します。

誰でもスグに、選択肢のふたつは考え出せることでしょう。

1:続ける、現状維持。
2:やめる、終わらせる。

肝腎カナメなのは、残りの選択肢です。

3:
4:
5:

実際に選択肢を作り出そうとすると、残りをどのように埋めようか?と悩むことこの上ないのです。

そして、選択肢が絞りこめないときは、問題の設定や捉え方が大きくズレているのを神様が教えてくれているのです。

何かを考えるというのは、具体的であり選択可能でないと、机上の空論・砂上の楼閣・乙女の恋心の如くして、ロマンチックに傾くか、または悲愴に陥るか、結局は方向性のないエネルギーを四方八方に放射して、漏電しただけで終わってしまうのです。

無駄なエネルギーの発散を抑え、建設的に考えることにエネルギーを投入できるのが、選択肢を産み出すプロセスなのでございます。

残りの選択肢を埋めようと、あれこれアタマを回転させていると、思いがけない選択肢が浮かんできます。

意外にそれが現状を突破するキーであったりするのです。

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